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      散策ツアー・胆沢区若柳渋民沢

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渋民橋の上から見た川の下流方面の紅葉と渓谷の様子
胆沢区若柳渋民沢・・・

胆沢ダム上流の地図を見ると、前川地区から東側の沢に渋民沢がありました。今回案内されてはっきりしましたが、道路から深い渓谷になっていて滑り落ちたら危険だなあと思いました。今から遙か昔のことですが、この沢の渓谷で亜鉛や鉛、鉄などが産出した記録があります。正面の崖から右側に深い渓谷が東側に延び、この場所がまぼろしの鉱山「かね山」と言われています。

おろせ広場を通り過ぎ、ビオトープのある場所から一関方面に少し進むと左折する交差点が出てきます。今回はここから左折し、渋民沢の方へと入ることになりました。いつも通っている場所はこのコースの西側ですが、今回初めて東側に入り込みました。道路の分岐点はいつも見ていたのですが、案内無しでは歩けません。今回は一つ覚えたので来年からのドライブが楽しくなりそうです。

トップの画像は渋民橋の上から見た川の下流方面の紅葉と渓谷の様子です。


鈴木会長の案内から・・・

これから行く渋民という所、・・・この辺は昔、ワラビ取りの場所でもあったのです。・・・渋民という表現については、人が一杯集まってきたという意味があるようで、しぶと言うのは集まってきた状態のことを言うようです。県内にも結構あるようです。ここに一杯住んでいると渋民村と言うようになるようです。

杉の木をみんな切ってしまいましたが、以前はここにこの様な平地があったんだなあと言うことが言えます。ここはあっという間に来てしまいました。こっちから入ってあっちに抜けるようです。木漏れ日は私が好きなので、この様な感じで通って下さい。広場になって居ますが、左手の方にかつて前川分校がありました。永徳寺の末寺もあったと言うことです。・・・ここで車から降りて散策をします。

※レコーダーの音が良く聞き取れず記録出来ない部分がありました。


バスから降りて林道を歩く・・・

私達は山道をほぼ3列ぐらいになって進みますが、30名ほどの集団になると先頭との距離は結構出てきます。何しろガイド役の鈴木さんは先頭を歩きますし、私は撮影しながら歩くのでどんどん距離が離れてきます。そんなことから、レコーダーでの記録は思うようにはいかず、聞こえるのはカメラの合焦音とシャッターの音のみでした。聞き取った部分を意味の分かる内容でくくりとって見ました。

・・・本寺という名前が残り、こっちが渋民と言うことで・・・、鉱山があったのは掘り出した横穴が山に向かって全部あって・・・。・・・もうちょっと歩いてみましょう。・・・わあー深い・・・。・・・ざあっと言う川の流れの音がレコーダに記録されている。撮影しながら落ちたら怖いなあというかんじになってきました。画像はありませんが、道路脇に地震計が設置されていました。・・・穴の跡があるのですが、ちょっと確認出来ません。・・ここ穴が開いていたんですよ、穴を開けて掘ったんですよ。・・・崖から落ちたら下まで行ってしまうね・・・。・・・やっぱり山だね、寒いよ・・・。

・・・このコースの記録はノイズと歩くために踏みしめる足音のみだけでした。19分記録したのですが・・。

渋民橋界隈の様子 1 バスから降りて見えてきた橋、渋民橋を渡ると300年前のかね山鉱山跡にタイムスリップします。(※とは言っても特に変化はありませんでしたが・・・)
渋民橋界隈の様子 2 早い人達は橋の上に着きました。ここで左右を眺め降ろして景観の美しさに大感激です。

左の画像が下流側で、切り立った崖が紅葉で彩られていました。崖の下から支流が右側に伸びており、深い渓谷になっています。

右の画像は川の上流側で、真っ赤な紅葉が見事でした。
渋民橋界隈の様子 3 渋民橋界隈の様子 4
渋民林道入り口の表示 渋民林道入り口の表示がありました。ここからしばらく道なりに歩き、鈴木会長から色んな事のお話があったのですが、私は最後尾にいて周囲の撮影にばかり気をとられていたので聞き逃しました。

レコーダーの記録にもありましたが、「しぶ」というのは集まる状態のことを意味している。民(人)が集まれば村が出来る、なるほどなあと改めて渋民村語源を知りました。
渋民沢の景観 1 中央で説明している方が鈴木会長です。

私達はここからしばらく渓流沿いに歩き、秋を満喫しながら左側の谷底に目を向けます。と言うより自然と目が向いてしまうのです。

風の音とは違う渓流の流れの音が聞こえてくるからです。
渋民沢の景観 2 渋民沢の景観 3
渋民沢の景観 4 かなり樹木が密集しているので、対岸の様子がはっきりとしません。私は昔の掘り抜いた跡らしき窪みでもと思いましたが、確認は無理でした。

本気に確認するには崖を下り対岸を歩かないと出来ないからです。眺めた皆さんが、「深いねー」と言うほどの崖ですから無理と言うことでした。

左の画像は更に奥へと進みたい魅力に駆られる林道であり、右の画像はここらで帰りますかと言う場面になります。
渋民沢の景観 5 渋民沢の景観 6
渋民沢の景観 7 帰りながら木の間から谷底が見える場所を探してみました。なかなか見つからないのです。
渋民沢の景観 8 やっと見つけた谷底の見える場所です。川幅が狭いのですが、穏やかに流れる渓流では無く、小さな滝が有り段差のようになっている渓流でした。

あんまり前に出てずるずると滑ったら大変なので、少し離れた安全な場所からの撮影です。木の枝が邪魔になるのですが仕方ありません。
左側が本寺林道入り口 行く時は見つけられなかったのですが、渋民橋を過ぎたあたりで「本寺林道入り口」お立て札がありました。今回は左側方面へは進みません。
渋民橋で鈴木会長が取材を受ける 1 実は今日の散策ツアーには、テレビ岩手のカメラが同行していました。カメラマンの後ろの席に座っていた私でしたので、かなり緊張していたことは事実でした。もしかしたらスポットで紹介されるのかなあ・・なんて思っていました。

渋民橋の上で、渓流と紅葉をバックにガイドの鈴木会長が取材を受けていました。この日のニュースプラス1で、放映されるよと言うことで期待してテレビを見ていましたが、ばっちりと正面から映っており「あれれ・・」と言う所です。
渋民沢の景観 9


渋民橋下流の景観です。川底に映る橋脚の影を取り入れてみました。それにしても、くっきりと晴れ渡った青空と渓谷の紅葉の対比は、言葉では表現出来ない素晴らしさがありました。

この渓谷一帯は、まぼろしの鉱山と呼ばれる「かね山」鉱山跡であり、亜鉛や鉛などを産出していたと言われます。

現在では、その痕跡はほとんど確認することが出来ませんが、かつてこの場所に「千軒原」とも呼ばれる多くの母屋が建ち並んでいたと言われています。資料に寄りますと、正面に見える渓谷斜面に、鉱石を採掘していた坑道跡が沢伝いに点在していたと言います。

渋民沢の景観 10 橋の下に拡がる渓流沿いに見事な紅葉がありました。私の心の中には、何故か紅葉は赤か黄色になるという固定観念があります。皆さんは、どのようなイメージを抱いて紅葉をご覧になるのでしょうか。
渋民橋で鈴木会長が取材を受ける 2 笑顔で取材を受ける鈴木会長です。番組の中で、「どこが一番きれいですか・・」と聞かれていました。何と答えたのか、今となると思い出せません。

※鈴木会長は、いさわ散居ガイドの会の会長です。今回
  のツアーのコースについて説明されています。

私が撮影を打ち切り引き上げてきても、まだ取材を受けていました。丁度バスの駐車していた場所ですが、杉の木が伐採されていました。かつての千軒原と言われる鉱山の人達が住まいした当時も、背景に見えている焼石・横岳は見えていたはずです。
帰り際に見た渋民橋 今も昔も変わらぬ景観、横岳です。
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