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      2014千厩町・せんまやひなまつり


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第七回千厩町・せんまやひなまつり・・・

岩手のひな祭り第二弾は千厩町で開催された「第七回千厩町・せんまやひなまつり」です。せんまやひな祭りを訪れたのは2010年3月のことですから四年ぶりのことになります。その時の様子はほっづぎある記の画像4コマだけでしたので、今回はがっちりとページを編集してみました。


千厩酒のくら交流施設とは・・・

平成15年1月31日、横屋酒造の造り蔵・佐藤家住宅の母屋など25棟が国の有形文化財として登録されました。

横屋酒造は、大正元年(1912)創業の老舗で、摺沢横屋(現大東町摺沢)佐藤秀蔵の三男佐藤秀平が初代で、酒造業の基盤充実に努める傍ら普請道楽と伝えられるほど、約2,700坪(9,000u)の敷地に酒造、販売、居住の各領域が配置され、建物の随所に当主の意向が反映されています。

母屋・西洋館の設計は、日本建築学会の第一人者であり、東京駅を設計した建築家「辰野金吾」の門人であった建築家「小原友輔」(現大東町摺沢出身)が当主の意を受け携わったといわれています。

母屋は、明治34年(1901)上棟の土蔵造りの二階建て切り妻造瓦葺で、玄関入り口の踏み石は花崗岩一枚のビシャン仕上げ、玄関屋根を支える二本の柱も花崗岩で重厚さを醸し出しています。建材は随所にケヤキ材をふんだんに使い、石材も仕上げ方法を使い分け、丁寧な壁仕上げも見られます。指物等も当時のままであり、建物全体に職人の技と気概が感じられます。玄関の中も当時としては珍しいイタリア製の全面タイル張り、斬新な花模様が配置されています。窓のガラスも建築当時のものが多く残っており、ガラス越しに外を見ると、ゆらゆらと景色がゆがんで見えます。

母屋をはじめとする建物群は、今もどっしりと構えて、銘酒「玉の春」を世に送り出し続けており、明治期から大正期の建物ほとんどが今もなお重厚な佇まいを見せています。                    
                                                        ※玄関案内看板より


酒のくら交流施設入り口 1 11:08 酒のくら交流施設入り口・・・

三月とは言え、まだ雪が残っている玄関入り口でした。前に来ているのでおなじみの場所ですが、案内板等が前回よりもはっきりとしていたと思います。

たまたまですが、人通りの少ない時を待ち撮影しました。
受付の一関商工会議所女性会のメンバー。 玄関に入ると、赤い半纏を着た商工会議所女性会の方が居られ、入場料を支払いチケットをもらいました。

この時の番号は確か2,100あたりだと思いました。
酒のくら交流施設入り口 2・・・でる時見たら3000人のくず玉がありました。 酒のくら交流施設をがっちり観て撮影しましたが、滞在時間は40分ほどでした。

入り口から出て目についたのが、・・3,000人ご来場おめでとうございます・・、のくす玉でした。あれから40分の間に900人近くの来館者があったのでしょうか。

もしかしたら、私たちも該当したかもしれない番号でした。終わってから気がついたのは、何となく混んできたのかなあと言う感じがありましたから・・・。

今までのひな飾り撮影は、歴史的由来がある豪華で大型の段飾りの鑑賞が中心でした。したがって、会場の隅につるされている飾り(つるし雛)にはほとんど関心がありませんでした。にわか仕込みのネット資料からまとめて記事を書くのですから大変です。

一つ一つの人形に込められた願いを知ると、もっと多くのつるし雛を撮影することが出来なかったのかと、今になって気がつきました。


雛のつるし飾り・・・

雛のつるし飾りとは、江戸時代後期から伝わる伊豆稲取地方の風習、吊るし飾りのこと。長女の初節句に、無病息災良縁を祈願して、雛壇の両脇に細工を吊すもの。過去においては庶民の雛壇代りでもあった。

つるし飾りは、子供が成長し七歳、成人、嫁入りといった節目を迎えると、新年のどんど焼きに焚きあげてしまうため、古いものはあまり残っていない。平成五年頃より稲取の婦人会の手芸講座にてツルシ製作を通じて見直され、「雛のつるし飾り」の名称をつけられた。つるしの漢字表記「吊るし」は、縁起物には不適当なため推奨されない。

現代では、桃(長寿)、猿っ子(魔除け)、三角(薬袋香袋)を基本として50種の細工がある。これらを5列の赤糸に各11個の細工をつるし計55個にそろえ、これを対で製作することにより110の細工がつるされたものが基本型とされる。 一般に直径30cmのさげわに170cmの長さで吊るされ、飾りの数は3、5、7、9などの奇数で組み上げられる。この理由は、前述した様に縁起物であるため、割り切れる数字(偶数)を避けてのことである。古裂などを使い、鞠や雛などを制作しひもで繋いでつるしていく、地元女性の和裁細工として受継がれて来た。(※ウイキペディアより転記)


撮影した画像から確認できるひな人形を順にあげてみます。

手まり・・・・・正月に飾る縁起物であり、幼子の遊び道具でもあります。丸々と円満にはずむ心豊かな暮らしへの願い
        が込められています。

薬・・・・・・・・昔、「薬袋」はすべて三角の形をしていました。この「三角」の形に、“病気に無縁でありますように”との願
        いが込められています。不運が起こらないように祈るお祓いとしての意味もあります。

つばき・・・・日本女性の美しさを表す大輪の花は優美さと華やかさの象徴。優雅で美しい女性に育つよう願いが込め
        られています。

唐辛子・・・・可愛い娘とお雛様に悪い虫がつかないように、との意味があります。(実際に、昔は、虫から雛人形を守
        るために、収納箱へ唐辛子を入れて保管していました)

ネズミ・・・・・大黒さんの使いといわれる「ネズミ」は、金運に恵まれるといわれます。「俵」は五穀豊穣をあらわし、食に
        困らないようにと願い飾られます。

イチゴ・・・・・赤い色には「厄除け」の意味があります。

ニワトリ・・・・十二支の酉として親しまれる鶏。1日の始まりである朝を招き、滋養がある「卵」を産むこと等から、古来
        縁起のよい鳥といわれています。長寿や健康を願って飾られます。

犬張り子・・・犬のお産が軽いことにあやかり、「子宝・安産・健康」に恵まれますように、との願いを込めて。また、子守
        り・厄除けにあやかれるともいわれます。

つるしびな 1・・・赤い猿ぼぼです。 つるしびな・・・

受付玄関から入った場所に、真っ赤な猿が多数つるされてありました。資料によると、猿は去ると置き換えられ災害や厄から身を守ると言います。

また、赤い色は「厄除け」の意味があり好んで使われています。

下の画像は数多くつるされた手まりですが、手まりは正月に飾る縁起物であり、幼子の遊び道具でもあります。丸々と円満にはずむ、心豊かな暮らしへの願いが込められています。
つるしびな 2 つるしびな 3
つるしびな 4・・・下に犬張り子が並びます。 赤い帽子をかぶった輪に七本の糸をつるし、一本の糸に七個の人形をくくりつけます。色々な組み合わせがあり、拡大して数えてみました。

手まり、ひょうたん、薬、なす、なんばん、ネズミ、イチゴ、ニワトリ、童子等々みな手作りの作品です。一つ一つに想いが込められ、じっくり見ているとほのぼのとした気持ちになってきます。

つるし雛の下には、大小様々な犬張り子が並んでいました。

竹の中のかぐや姫 1 竹の中のかぐや姫・・・

太い唐竹の節の間をくりぬき、その中にかぐや姫をひな人形にして飾ってあります。たまたまお聞きしたのがかぐや姫の作り方でした。

「綿棒を使って作るのです・・」なるほど思ったら、思わずにやりとなった私です。その場では確認できませんが、画像処理をしながら拡大してみると、顔の白部分が綿棒の脱脂綿です。

竹かごの中のかぐや姫、似合いますね。
竹の中のかぐや姫 2 竹かごの中のかぐや姫
竹の中のかぐや姫 3 唐竹をすぱっと切り取り、門松状にした幹の中に収まるかぐや姫・・。今までどこの会場でもお目にかかったことのないかぐや姫のひな飾りです。
竹の中のかぐや姫 4 竹の中のかぐや姫 5

花巻土雛 1 花巻土雛・・・

花巻土雛と言えば、昔から伝わっている農家の皆さんの手によるおひな様です。我が家にはおひな様はありませんが、古い家には手作りのおひな様(土雛)が飾られていたようです。

この作品はお内裏様ではなく、武者人形的な飾りです。製作が江戸時代とあり、歴史のある人形だと思いました。
花巻土雛 2 花巻土雛 3

つるし雛の春駒の整列です。 色々な形のひな飾り・・・

ここからは色々な形のひな人形を並べてみました。

最初の飾りはつるし雛だと思いますが、春駒と思われます。そろって右を向き、背中に童子や武者人形が乗っています。春駒の願いは、子供が楽しく遊び、元気に育ってくれますようにとの願いが込められています。
刺しゅう雛?? 刺しゅうひなでしょうか、最初はくくり雛のような作りかなと思いましたが、よく見たら厚さがなく刺しゅうの様な作りと判断しました。勝手に刺しゅうひなと名付けましたが正確ではありません。

下段の左右の内裏様は、左が江戸時代に作られた享保雛であり、右側が昭和の現代雛になります。内裏様の並びが男女が反対になっています。
江戸時代の享保雛 昭和の現代雛

段飾りの集合であり、この場面は二つの段飾りです。
段飾り全員集合・・・

二階大広間床の間に飾られてある五組の段飾り雛です。あまりにも横に長いので、ワイドレンズでも収まりませんしストロボの光も周辺までは届きません。ほとんど新しい作品であり、町内各所からの寄贈品でした。このくらいの規模になると、圧倒される美しさが出てきます。画面構成の関係で、この場合は二組の段飾りに切り取りました。

四年前に訪れたのが第三回のひな祭りでした。その時も驚きましたが、酒のくら交流施設は横屋会社の私宅であり、今で言う超豪邸ですから自由に立ち入ることが出来なかった空間です。説明をして下さった同年代の男性が語っていました。・・・一族の中に貴族院議員が居られ、大船渡線を設置する時、摺沢方面にぐるりと曲げることが出来るくらい政治力と経済力がありました。時間にして十分ほどの所を、ぐるりと一時間ですよ・・・とさりげなく話されていました。そんな分限者が岩手・摺沢に居られたことに驚きました。今は昔の話しですが・・・。

                                                       (2014.03.06 作成)

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