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location:uchinome.jpトップ>暮らしの表情>民俗芸能アラカルト>2014千厩町・せんまやひなまつり |
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第七回千厩町・せんまやひなまつり・・・ 横屋酒造は、大正元年(1912)創業の老舗で、摺沢横屋(現大東町摺沢)佐藤秀蔵の三男佐藤秀平が初代で、酒造業の基盤充実に努める傍ら普請道楽と伝えられるほど、約2,700坪(9,000u)の敷地に酒造、販売、居住の各領域が配置され、建物の随所に当主の意向が反映されています。 母屋・西洋館の設計は、日本建築学会の第一人者であり、東京駅を設計した建築家「辰野金吾」の門人であった建築家「小原友輔」(現大東町摺沢出身)が当主の意を受け携わったといわれています。 母屋は、明治34年(1901)上棟の土蔵造りの二階建て切り妻造瓦葺で、玄関入り口の踏み石は花崗岩一枚のビシャン仕上げ、玄関屋根を支える二本の柱も花崗岩で重厚さを醸し出しています。建材は随所にケヤキ材をふんだんに使い、石材も仕上げ方法を使い分け、丁寧な壁仕上げも見られます。指物等も当時のままであり、建物全体に職人の技と気概が感じられます。玄関の中も当時としては珍しいイタリア製の全面タイル張り、斬新な花模様が配置されています。窓のガラスも建築当時のものが多く残っており、ガラス越しに外を見ると、ゆらゆらと景色がゆがんで見えます。 母屋をはじめとする建物群は、今もどっしりと構えて、銘酒「玉の春」を世に送り出し続けており、明治期から大正期の建物ほとんどが今もなお重厚な佇まいを見せています。 |
今までのひな飾り撮影は、歴史的由来がある豪華で大型の段飾りの鑑賞が中心でした。したがって、会場の隅につるされている飾り(つるし雛)にはほとんど関心がありませんでした。にわか仕込みのネット資料からまとめて記事を書くのですから大変です。 雛のつるし飾りとは、江戸時代後期から伝わる伊豆稲取地方の風習、吊るし飾りのこと。長女の初節句に、無病息災良縁を祈願して、雛壇の両脇に細工を吊すもの。過去においては庶民の雛壇代りでもあった。 現代では、桃(長寿)、猿っ子(魔除け)、三角(薬袋香袋)を基本として50種の細工がある。これらを5列の赤糸に各11個の細工をつるし計55個にそろえ、これを対で製作することにより110の細工がつるされたものが基本型とされる。 一般に直径30cmのさげわに170cmの長さで吊るされ、飾りの数は3、5、7、9などの奇数で組み上げられる。この理由は、前述した様に縁起物であるため、割り切れる数字(偶数)を避けてのことである。古裂などを使い、鞠や雛などを制作しひもで繋いでつるしていく、地元女性の和裁細工として受継がれて来た。(※ウイキペディアより転記) |
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花巻土雛・・・ 花巻土雛と言えば、昔から伝わっている農家の皆さんの手によるおひな様です。我が家にはおひな様はありませんが、古い家には手作りのおひな様(土雛)が飾られていたようです。 この作品はお内裏様ではなく、武者人形的な飾りです。製作が江戸時代とあり、歴史のある人形だと思いました。 |
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