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たまたまでしたが、役所関係の方と思える男性二人が上から川底の泥岩層を眺めていました。 |
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V字形に切れ込んだ部分を崖の上から眺めた様子。かなり広い泥岩層岩盤で流れの中程まで伸びています。
賢治が見た頃の様子ですと、川の中程まで川底が見えていたことになります。今では予想も出来ませんが・・。 |
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画面中央上から川底に降りました。乾いたばかりの斜面でもあり、滑る危険がありますので気をつけてに川底まで進みます。
この時は、鍾乳洞などに入る時に使用した長靴を履き、滑らないように細心の注意を払いました。 |
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それほど広い場所ではないのですが、水が完全に引いてはおらず水あかで滑ります。完全に乾いていれば川の中程まで行けますが、この状態では危険であり崖の側を歩きました。 |
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一番怖かった場所です。崖の方向にV字型に食い込み、よどんだ流れと泡がたまっています。この場所の水深は分かりませんが、滑り落ちないように細心の注意を払いました。
下の画像は、通り過ぎた危険な場所と川の中まで続く川底の泥岩層です。水位が減っているので、水が流れ落ちていました。 |
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崖の泥岩層(3m程の高さ)に、ぼつぼつと穴が開き埋もれ木があります。完全に炭化して居らず、泥岩層に取りこまれたものと判断しました。
この場所を精査すれば化石等が見つかりそうですが、埋もれ木を見つけて終わりにしました。案内板によると、この場所での化石採取は禁止されています。
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行き止まりの崖を見ると、元来の川底から3mほどありそうです。地層が造られたのは第三紀と言いますから、およそ500万年以上も前のことになります。
北上川が流れ出したのは、第四紀(100万年ほど前)とでも言えそうです。
※年代判定は、目で見る日本列島の生い立ち「古地理図
鑑」参照です。思い込み等があり定かでないことをお断
りします。 |
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ここから先へは進めません。3m程の垂直な崖になっています。崖の延長に、合流点にある中州が見えています。よどんでいますので、水深がありそうです。 |
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崖の拡大です。この場所だけでも三層の堆積が分かります。右下から折れ曲がった褶曲部分、その上の大部分を占める白い部分、一番上の色違いの部分との区別です。
当時は浅い海の底と想定されるこの場所では、堆積・隆起・浸食・沈降・堆積のサイクルが長い年月の間にくり返されていることが分かります。
太古の昔に想いをはせると、賢治ではありませんが悠久の時の流れを感じる場所と言えます。 |