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道の駅「錦秋湖」・・・

ダム堰堤上からの撮影を終わり、一段と高い場所にある道の駅に寄りました。ねらいはだだ一つ、錦秋湖に関する資料の収集のためでした。売店の壁面にさりげなく吊された一枚の色あせた合成写真、今から59年前に撮影された水没前の大荒沢・杉名畑地区の全景写真です。思わず見とれながら撮影しましたが、カバーが掛かっており光線状態により店の中が反射して写り込みます。

何とか撮影した画像を四枚に切り取り並べてみました。撮影場所は、地域全体を見下ろす南側の大荒沢神社上部よりと明記されていました。雪に埋もれた杉名畑地区の主な建物一つ一つに、施設名が入れられてあります。私にとって説明する余地がありませんので、大きな画面に切り取りならべてみました。拡大画面にすると書き込まれた名称等がよりはっきりします。

※湖底の大荒沢 杉名畑全景(138戸)
  1958.3月(S30年)
  大荒沢山神社上部より撮影
  道の駅「錦秋湖」売店壁面原画展示より
水没前の大荒沢・杉名畑地区の全景写真 1
水没前の大荒沢・杉名畑地区の全景写真 2
水没前の大荒沢・杉名畑地区の全景写真 3
水没前の大荒沢・杉名畑地区の全景写真 4

杉名畑トンネル付近・・・

道の駅で壁写真を撮影した後、売店に居られた女性にお聞きしました。「新聞で報道された湖底の様子はどこまで行けば見られますか・・?」とお聞きしたら、「この前の道路はすぐトンネルになりますが、そこら辺から周辺の木が少なくなり見えるはずですよ・・」とのことでした。早速ですが、トンネルを出た付近の広場に車を止め探し歩きました。

なお、ここからの説明文は資料等がありませんので、59年前の画像に記された場所を参考に記していることをお断りいたします。
杉名畑トンネル出口(湯田側) 杉名畑トンネル出口(湯田側)です。この右手前から旧道が開けていました。途中から道路だった場所がくず蔦がはびこり、歩くのも大変なのでそこでストップです。

ダム側は木が無く湖底見えていますが、光線状態が良くなく遠くの方はよく見えません。
杉名畑トンネル付近 1 手前が旧和賀川です。よく見たら橋が架けられていた場所でした。59年前の写真から見て、この場所には吊り橋の「尼瀬橋」があり、その奥には杉名畑小学校があった場所になります。

下の画像は、吊り橋のワイヤー基礎部分であり、川の岸辺部分に橋脚がありました。

橋脚、吊り橋ワイヤー固定部分の延長は道路になっていた痕跡がかろうじて確認できます。
杉名畑トンネル付近 2 杉名畑トンネル付近 3
杉名畑トンネル付近 4 対岸側の吊り橋ワイヤーの基礎部分。
杉名畑トンネル付近 5 旧横黒線の線路と雪除けの部分、あかりとりの小窓が規則的に見えています。
杉名畑トンネル付近 6 対岸に旧横黒線のトンネル口が見えています。この部分は完全に水没区域です。
杉名畑トンネル上流付近 杉名畑トンネルから上流に向かった場所での撮影で、湖底部分に道路の形状に見える場所がありました。盛り上がった部分が長く続いています(平和街道)。

天ヶ瀬橋付近・・・

R107からゆだ錦秋湖駅、錦秋湖サービスエリアに通じる道路です。橋のたもとに車を置きましたので、長い橋を途中まで歩いてみました。湖底は一面の原野同様になっており、目標物等がありませんのでどうなっているのか一切不明でした。
八幡館(対岸前方の丘)の標識と説明板 八幡館(対岸前方の丘)の標識と説明板

前九年の役、奥六郡の長安倍頼時とその子の貞任等を国守源頼義と八幡太郎義家等が口実をもうけて攻めたてた・・・書き出しでいわれが記述されています。

詳細は拡大画面でご覧ください。背景の丘陵は看板の後ろになって見えません。

かなり長い橋ですが、途中まで歩き湖底を眺めました。完全に干上がっている湖底は、旧和賀川の流れが浸食された川底を露呈していました。
天ヶ瀬橋付近 1 天ヶ瀬橋付近 2
天ヶ瀬橋付近 3 崖の途中に平和街道は無かったと思いますが、湖底部分をよく見ると道路らしき跡が遺されていました。
天ヶ瀬橋付近 4 天ヶ瀬橋付近 5
天ヶ瀬橋付近 6 橋の上から八幡館の方向を見た様子です。逆光線ですが川の中に盛り上がった丘陵部分があります。この丘陵地帯に八幡太郎義家軍が立てこもったとされています。

安倍貞任軍は、和賀川を挟んだ反対側(安倍館)に陣を置き対峙したと言います。
天ヶ瀬橋付近 7 天ヶ瀬橋上流の方向です。深く浸食された川の流れがあり、R107にも橋が架けられています。

資料によると、この段丘部分に大石駅があったようです。今でも上流から水が流れ川底が浸食されています。

天ヶ瀬橋付近 8 天ヶ瀬橋付近 9
大石橋 大石沢の流れに架かる大石橋です。橋の下にはかつての大石橋の一部分がが並んでいます。
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