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         2016紫波町・城山公園


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城山丘陵頂上になる御殿跡広場入り口の様子
紫波町・城山公園・・・

家から盛岡市に向かう時、紫波町を通過する町外れに小高い丘があります。今まで通り過ぎ事があっても、城山まで上り公園内を見たことは一回しかありませんでした。

今回桜シリーズを構想した時、今まで訪れたことの無い名所としてこの地を選びました。

撮影したのは4月22日のことでした。あいにくの曇り日でしたが、満開の桜が間近に迫り素晴らしい景観でした。欲を言えば、晴れていたなら桜の枝越しに岩手山が展望出来て、最高の景観であったと惜しまれました。

公園内の駐車場は四カ所あり、城山全体が段々状になっています。それぞれの場所に桜が植えられ、満開の様相を見せていました。私が駐車した場所は第二の場所であり、ここから歩いて御殿跡広場まで向かいました。歩きながらあちこち撮影し、駐車場から歩いて頂上(御殿跡)広場)まで行けるように編集してあります。

あいにくの曇り日なので遠景は望めませんが、満開の桜が目にしみる美しさを見せていました。今回初めて桜の時期に訪れましたが、素晴らしい眺めだなあと思いました。

トップの画像は、城山丘陵頂上になる御殿跡広場入り口の様子です。

ネット資料によると、城山公園は、町のほぼ中心にある小高い丘で、中世期には斯波氏の居城高水寺城が築かれたといわれ、歴史的にも価値が高い遺跡です。春には約2千本の桜で公園が彩られ、少し離れたところから見ると丘全体が桜色に見えるほどです。
                                                       2016.05.04 作成


駐車場の様子 1 第二駐車場からの眺めです。上が第一駐車場であり、大型バスや施設関係の車が駐車していました。

この場所から階段を上り、上の丘陵まで上ると御殿跡広場になります。
駐車場の様子 2 上から見下ろした第一駐車場です。かなりのスペースがありますが、ほぼ満車の状態であり、私達は一段下のスペスに止めました。
城山公園案内図 途中に建てられてある城山公園案内図です。

駐車場のマークのPが四カ所あります。画面の左下から第一、第二、第三と続き、右端の一番下が第四になります。

最初はここが空いていたので置こうかなと思いましたが、かなり歩かなくてはならないので上まで進みました。
御殿跡広場登り口 第一駐車場からは車が入られないので、歩いて行くことになります。

親切なことですが、歩道の区画と盲人用のタイルが埋め込まれていました。

通路の奥には屋台テントがあり売店になっています。

中央左側から上に登る通路があり、ここから御殿跡広場に最短距離で行けます。

歩きながら見た石垣 1 進むにつれて石垣の一部分が見えてきましたが、この地に城が築かれていた当時からのものか、後から観光用に築かれたものか不明です。

一番上の丘陵地ですから、石垣が築かれていれば城郭としての機能がありそうです。
歩きながら見た石垣 2 通り過ぎて後ろを振り返ってみました。

おでんの旗が目に入り、何となく食欲をそそられます。
御殿跡広場入り口 ほぼ平坦地の通路であり、ゆっくりと登ることが出来ます。

突き当たりには広場があり、売店のテントが数多く置かれてあります。

右端画面の突き当たりを曲がれば御殿跡広場入り口になります。
城山公園の由緒が書かれた看板 入り口階段脇には、城山公園の由緒が書かれた看板が立てられてあります。
御殿跡広場入り口階段 御殿跡広場入り口階段です。

左脇には、城山公園高水寺城跡と書かれた柱が立てられています。


階段を上り、下を見下ろした様子 階段を上り、下を見下ろした様子です。多くの売店テントがあり、お客さんの来訪を待ち受けていました。普通日でもあり、それ程多くの人出が見られませんでした。
中央には斯波氏居城高水寺城跡の石柱が立てられていました。 正式な御殿跡の表示看板があり、中央には斯波氏居城高水寺城跡の石柱が立てられていました。

資料によると、この城山全体に2,000本の桜が植えられているとのこと。今が満開の時期でもあり曇り日を吹き飛ばすような雰囲気が感じられました。

ここからは、広場頂上で咲き誇る満開の様子を並べてみました。どうやらkの先には神社があるようです。
御殿跡の桜 1 御殿跡の桜 2
御殿跡に建立されている愛宕神社。

愛の神社・・・

戦国の武将上杉謙信や直江兼続らに信仰され、中世斯波氏、近世南部氏の城の中心におかれ信仰されました愛宕神社です。

勝負の神、災害の神として岩手の海軍大将栃内曽次カ氏が当神社の鳥居額等を寄贈されています。城山から見える地域の地震風水害の守り神として、また現代では全ての人々に愛をもたらす為に祈願しております。

        城山 愛宕神社  祭神 将軍地蔵尊斯波


鳥居脇に立てられてた説明板より転記。

御殿跡の桜 3 御殿跡の桜 4
御殿跡の桜 5 御殿跡の桜 6
御殿跡の桜 7 御殿跡の桜 8
御殿跡の桜 9 ここまでの桜並木は、御殿跡広場とそこから見下ろした下の場所の桜が主です。ほとんどがソメイヨシノと思われますが、花芽等が鳥に食われずにそのままの形で咲き誇ります。まるで花のぼんぼりのような形に見えます。

今朝の新聞報道によると、岩手の代表的な名所である小岩井農場の一本桜が例年に比して花芽が少なく、満開の桜を見に遠くからやってこられた方々ががっかりしている様子が書かれていました。

こればかりは自然現象ですからどうにもなりません。それにしても城山公園の桜、すごくきれいでした。


晴れていれば、この場所から岩手山が遠望出来ます。
第一駐車場の桜の木の間から、晴れているとくっきりとした岩手山が見えるのですが、曇天でもあり山の形は何も分かりません。私も期待しましたが、残念ながらと言うところでした。いつの日か是非とも見て撮影したいなと思います。

城山公園の正式の名前は、斯波(しわ)氏の居城である高水寺城跡と言うことでした。五郎沼の案内板で斯波(しわ)氏と言うことは分かっていましたが、城の名前は今回初めて知りました。現地に書かれてある案内解説板は、何も知らないで訪れる立場の者にとっては納得出来る解説板です。

来年も来てみなくてはなりません。そんな課題を心して城山を離れました。


城山公園・・・紫波町指定史跡 高水寺城跡

標高八十メートルの独立丘に立地したこの高水寺城は、中世斯波氏累代の居城であった。斯波氏は足利氏の有力な分族であるが、この城を領知するにいたった経緯や築城の時期については定かではない。それが南北朝対立の時を迎えると、にわかに日本史の表舞台に登場するようになった。

すなわち、足利尊氏によって奥州管領に任ぜられた斯波家長は、この城を本拠とし奥州における北朝の重鎮として活躍しているのである。次いで、室町時代になると紫波郡一円の領主として地歩を確立しただけでなく、一時は南岩手から雫石方面へも勢力を伸張するほどであった。しかし、三戸南部氏との抗争が激しくなるにつれ次第に衰えをみせ、ついにはその攻略に屈して没落する運命となった。時に天正十六年(1588)八月のことである。

高清水城を占領した南部氏は、城名を郡山城と改称して城代を配したが、寛文七年(1667)に至って城代制は廃止され、城も破却された。
                                                          紫波町教育委員会

                                                 ※現地に建てられた看板から転記。

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