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          2016紫波町・五郎沼


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池の東側から眺めた様子になります。桜まつりの幟が池に映り込んでいました。
紫波町・五郎沼・・・

盛岡市へ出かけた帰り、寄り道したくなるのが五郎沼です。ハスの花の撮影には何回も来ていますが、桜の撮影は今回が初めてのことです。沼のほとりに植えられてある桜ですが、水面に映る姿は何とも言われない風情があります。

今までは駐車場に車を置き、側にあるハス池の周りを歩きハスの花を撮影だけでしたが、今回は沼の東側、南端を初めて歩いてみました。かなり広い五郎沼の全容であり、隅までは回りきれませんでした。城山公園の桜を撮影した帰りに寄ってみました。

トップの画像は、池の東側から眺めた様子になります。桜まつりの幟が池に映り込んでいました。

                                                       2016.05.06 作成


駐車場入り口 国道四号から入ると、この場所が駐車場入り口になります。右端の板敷きは、古代ハスが植えられている池の畔になります。

つきあたりの場所が駐車場です。
古代ハスが植えられている池。 今は何も見えていない古代ハスが植えられている池です。

ハスの花の開花シーズンにはこのほとりが賑わいます。今はまだ地下で眠っています。

桜まつりの登畑 駐車場に車を置き、いつもは立ち入ったことのない場所である沼の東側から桜の花を撮影しました。

幟旗には、五郎沼 桜まつりの文字が大きく目立っています。普通日でもあり、あまり人出がありませんでした。
野鳥を観察される皆さんへ 餌付けをやめての看板。 沼の北端には看板が立てられています。

お願い!!

野鳥を観察される皆さんへ  餌付けをやめて

鳥インフルエンザウイルスの拡散防止の注意が書かれてありました。
沼の北端から見た桜並木の様子 1

沼の北端から見た桜並木の様子です。水面に一部が映り込み、風が無ければ素晴らしい水鏡風景になります。ほぼ同じ場所ですが、並べてみました。

沼の北端から見た桜並木の様子 2 沼の北端から見た桜並木の様子 3
沼の東側の広がり 沼の東側の広がりを写し込んでみました。正確な距離等が不明ですが、遙か彼方まで桜並木が見えています。

駐車場脇の沼から見た様子 1 ここからは、駐車場脇の沼から見た様子です。

この場所の桜はかなりの大木で、しかも枝分かれが多いなあと思いました。

この場所も普段は来ない場所になります。

正面の突き当たりは、国道四号から入ってきた場所になります。
駐車場脇の沼から見た様子 2 沼の方に伸びきっている桜の木、枝振りが素晴らしいなと思います。

このように管理して、枝を滑の方に伸ばしているのですから・・。

水面に映る木陰も映えています。
駐車場脇の沼から見た様子 3 駐車場の端、橋の架かっている場所からの眺めになります。

沼の周囲がその位ありますか、見える場所には桜の木が植えられています。

広場の南側の様子 1 駐車場がある広場の南側です。

今までこの場所には入ったことがありませんでした。赤い橋の側には説明看板があり、遺跡としての発掘の様子等が写真入りで書かれてありました。その内容の一部をページの最後に転記しておきました。
広場の南側の様子 2 橋を渡った場所から振り返って見た様子になります。

ここからは、桜の木を中心に順不同で並べてあります。沼に水面に映り込む桜の花は、晴天であれば素晴らしいものと思いながらシャッターを押しました。
広場の南側の様子 3 広場の南側の様子 4
広場の南側の様子 5 広場の南側の様子 6


沼の南側に拡がる桜並木の様子です。端まで歩くファイトが無かったので、入り口う少し進んだところで戻りました。

日頃、何気なく通り過ぎていた五郎沼です。、歴史的な関わりをうっすらと感じていましたが、改まって想いを遙か以前に走らせた内容が池の畔にあった遺跡の発掘等の資料でした。かなり薄れてはいるものの、何とか読み取れたのでテキストファイルに起こしました。五郎沼の名前の由来ははっきりしないのですが、当時の沼の広がりは今の何倍もの広がりがあったようです。

ネットで検索し歴史的広がりを調べると、今まで知らなかったことが大きく拡がってきます。歴史に疎い私でも、当時の先人の思いを知ることは、現代に生きる者の責任と言いますか感じるものが出てきます。言い古された言葉ですが、まさに「温故知新」の心であると思います。・・・ちょっと難しくなりました・・・


五郎沼・・・

平泉・藤原氏初代清衡の孫、樋爪太郎俊衡が建立した樋爪館跡の南にある五郎沼は、春は桜、冬は白鳥が飛来し訪れる人を楽しませています。7月には駐車場隣の蓮池で、中尊寺で泰衡の首桶から見つかった種を復活させた古代蓮(中尊寺ハス)が美しい花を咲かせます。東岸には、昔、度重なる沼の堤防決壊を食い止めるために人柱にされた女性の泣き声がするという伝説のある夜泣石と呼ばれる石碑があります。
                                                      ※ネット資料から転記

※沼のほとりにある遺跡説明板から転記しました。

奥州平泉藤原氏初代清衡の子C綱を始祖とする樋爪氏は、北上川本流に滝名川彦部川が合流する比爪を本拠地とし、志波郡一帯の産金を支配していました。この「五郎沼」は、藤原氏の奥六郡唯一の一族である樋爪氏の居館であり政務の場でもあった樋爪館と一緒に造られたものと思われます。

樋爪館はC綱の子俊衡・季衡兄弟の時代に平泉と運命を共にしました。残念ながら今は五郎沼によって当時の姿を偲ぶしかありません。樋爪には、比・火・肥等の字も使われ、紫波町指定史跡は「樋爪館跡」、紫波町遺跡地図では「比爪館」と用いています。
 
遺跡の発掘調査の結果、樋爪館は現在の赤石小学校や薬師神社を中心とちた数ヘクタールの範囲にあったことが推定されます。遺跡は、東を北上川、南を滝名川が流れる場所にあり、五郎沼を含めると10万平方メートルを越える面積になります。

弘化三年(1846)絵図面や郷土史家の推測を重ね合わせると、北と東西を濠に囲まれ南は五郎沼が満々と水を蓄えた壮大な景観が浮かんできます。

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