盛岡城跡公園・紅葉に戻る

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稲荷曲輪付近からの眺め 1 稲荷曲輪付近からの眺め・・・

ここから盛岡市内中心部を眺めてみました。紅葉への光の当たりが素晴らしく、文字通り深紅と言える彩りが素晴らしいのです。
稲荷曲輪付近からの眺め 2 稲荷曲輪付近からの眺め 3
稲荷曲輪付近からの眺め 4 右上の画像中心部付近の拡大になります。枝振り等から場所の確認が出来ると思われます。
建物の間から岩手山の偉容が望まれました。 建物の間から岩手山の偉容が望まれました。あいにくの空模様でありすっきりとしませんが、山頂部の様子が確認出来ます。

岩手山の初雪はすでに見られていますが、溶け去って雪の様子はうっすらとしか確認出来ません。拡大画面にすると、山頂の外輪山内側に少し見られます。

本丸の紅葉 本丸の紅葉・・・

本丸区域の紅葉はそれ程多くは無いのですが、樹間の間から深紅の紅葉を通して市街地が見えています。

岩手山も見えているのですが、慣れないと見落としてしまいます。
本丸南西部の石垣 1 本丸南西部の石垣・・・

本丸下の通路から見上げた石垣です。下の案内看板に、石垣に関わる資料が書かれてありました。

本丸は城内の中心部にあたり、主に城主が日常生活や政務を行う場として使われていました。本丸南西部で行われた発掘調査の結果、石垣は築城当初(16世紀末〜17世紀初頭)から構築されていましたが、元和年間(17世紀前半)以降の本丸を拡張するため、築城期の石垣を覆い隠すように構築されていることが確認されました。
本丸南西部の石垣 2

さらに藩政時代の記録によると、この部分の石垣は地震によって傷んだため、元禄16年(1703)と宝永2年(1705)に石垣の修復を幕府に届け出ており、宝永3・4年(1706・1707)に工事が完成していることが記されています。

この部分の石垣は、鑿(のみ)加工により石材が整形されており、本丸の他の部分に比べて規格が揃っています。


トップページで紹介した絵地図は、この石垣案内図から切り出したものです。

本丸南西部の石垣 3 歴史を刻む石垣に沿って、ここにも可愛い紅葉がありました。蔦の種類でしょうか、先細りになって消えていきます。思わぬ場所での発見でした。
本丸南西部の石垣 4 本丸と二ノ丸を結ぶ太鼓橋から、東側の様子を見下ろしてみました。この道路を進むと広い場所に出て行きます。案内図では多目的広場となっていました。


二ノ丸と本丸を結ぶ太鼓橋。
おわりに・・・

本丸広場から太鼓橋を渡ると二ノ丸へと移動出来ます。人通りがほとんどありませんが、杖をついて歩いている同年代の男性の姿に共感を呼びました。正式な橋の名前が不明ですが、朱色の欄干と太鼓橋が名所になります。

春の桜の時期や、秋の紅葉の始まりには市民の皆さんが多数出かける憩いの場に変身します。私も数年ぶりに訪れた城址公園です。冬の時期に広場で開催される雪祭りのキャンドルが懐かしくなるのも間もなくです。二ノ丸広場の下で開催される雪祭り、しばらく訪れていないので体調が良ければ来てみたいなあと思います。

今年の紅葉撮影は、時期的に少し遅くなったようです。燃えるような深紅の紅葉は素晴らしかったのですが、他の葉等々は枯れ落ちてシーズンオフでしたから・・・。
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