胆沢街道・サクラとダム眺望台展望に戻る

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サクラ並木街道で撮影し、その後は胆沢ダム眺望台まで直行です。この街道を直進すると、奥羽山脈を越えて秋田県まで行けるのですが積雪のため開通しては居ません。多分ですが、月末頃に除雪が完了し開通します。

眺望台からの眺めは大変素晴らしく、快晴に恵まれて焼石連峰がくっきりと見えていました。毎年必ず訪れる場所ですが、季節の移り変わりと共に眺めが変化し楽しめる場所になります。
胆沢ダム堰堤と湖面 1 胆沢ダム堰堤と湖面・・・

いつ来ても凄いなあと思わせる場所です。こんな巨大なダムを造りあげたのですから、技術力は凄いなあと言えます。もちろんですが、機械力に頼らなければほぼ不可能に近い建造物です。

ダム堰堤造成の初期から撮影をし、現場の工事見学会に参加して来ましたので余計感じるのかも知れません。

ダム堰堤通路を端の方まで来ている人が見えています。普段はここまで来られないのですが・・。
胆沢ダム堰堤と湖面 2 胆沢ダム堰堤と湖面 3
正面の山は経塚山 正面の山は経塚山と説明板に書かれています。学生時代のことですが、友人と一回だけ夏油側から登山したことがあります。

経塚山は家の方から見ると、一番高い山に見えます。本当は焼け石岳が一番高いのです。
湖面に架かる橋があり、ここから焼け石岳の登山口があります。 経塚山から左側を眺めた様子です。眼下には湖面に架かる橋があり、ここから焼け石岳の登山口があります。残念ですが、焼け石岳には登る機会がありませんでした。
奥羽団脈焼石連峰の遠望  奥羽山脈焼石連峰の遠望です。

下の画像は焼石連峰の切り取りですが、山肌の斜面左側に段々畑のように見える地形があります。ここは、ロックフィルダムを造るための岩石採取場の跡です。

大きな山の岩石を採取した跡ですが、ものすごい機械力で山肌を掘削し、巨大ダンプで運搬してダム堰堤を造りあげています。
奥羽団脈焼石連峰の遠望 2 奥羽団脈焼石連峰の遠望 3
奥羽団脈焼石連峰の遠望 4 焼石連峰を焼け石岳を入れて切り取ってみました。右端の稜線上に三角の山が見えていますが、これが焼け石岳になります。
奥羽団脈焼石連峰の遠望 5 焼石連峰横岳の遠望です。

この横岳の右側には、ハルの雪渓文字がその内に現れます。5月9日現在、奥州市からはきれいに「ハル」の文字が見られています。


胆沢ダム洪水吐き

ダム眺望台を訪れた帰り、雪解け水で水位の上昇したダムからの越流水の様子を見に、洪水吐きを訪れました。

ダムの洪水吐きの働きは、雪解けによる水面上昇、台風等の予想外の降雨量激増以外はめった流れ落ちることがありません。

流れ落ちてくる水流が、様々な波紋を見せてくれます。

じーっと見ていると、水流の変化と共に波紋も様々な形に変化していきます。惹き付けられる思いがして、時の流れを忘れるほどでした。

通水の始まった円筒分水工、迫力満点の水量です。
おわりに・・・

4月22日、胆沢ダム眺望台を訪れた帰り、通水儀式の終了した円筒分水工に寄ってきました。胆沢平野(扇状地)の西側にある奥羽山脈から流れる胆沢川、この扇状地に住み着いた先人達は米作りに欠かせない用水を胆沢川から取水していたと言います。

この灌漑用水の円筒分水工のある場所は「徳水園」と名付けられ、「昭和の一里塚」といわれる桜の名所と「水の歴史記念公園」になっています。この園内には昔の水争い解決で貢献のあった先人達の石碑が建立されてあり、その中の一つに前岩手県知事「増田寛也」の手による碑文があります。

平成元年度に着工した国営胆沢平野農業水利事業で平成7年に改修され、これまでより一回り大きくなった円筒分水工に生まれ変わり、流量(通水量)・受益面積で全国最大であり総合的に「日本一の円筒分水工」です。

規格・外円径:31.5m
内円径:24m
流量:16.0トン/秒
受益面積:7,400ヘクタール
                                                     (※現地にある看板資料から)


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