神社仏閣アラカルトに戻る


        2020北上市諏訪神社初詣


ウチノメ屋敷 レンズの目 自然の表情 暮らしの表情 ウチノメアーカイブス
岩手の鍾乳洞 岩手の蘇民祭 ほっづぎある記 心のオアシス
ドキュメント マクロの目 江刺ふるさと探訪記  

location:uchinome.jpトップ>心のオアシス神社仏閣アラカルト>2020北上市諏訪神社初詣

 サイトマップ


我が家の氏神様でもある北上市諏訪神社まで初詣
2020北上市諏訪神社初詣・・・

1月7日のことですが、遅ればせながら我が家の氏神様でもある北上市諏訪神社まで初詣に出かけてきました。本来であればもっと早めに初詣に出かければ良いのですが、駐車スペース等の事などで松の内ぎりぎりになってしまいました。いつもの事になりますが、私は一旦境内から外に出て、鳥居をくぐって新たに参拝するスタイルになります。毎年同じ事をやっているので単調になりますが、年の初めの行事ですから粗末には出来ません。

諏訪神社は子どもの頃の思いでの神社でもあり、兄弟姉妹揃って拝みに出かけた記憶があります。当時は皆さん徒歩で神社まで訪れ、もの凄い行列の順番待ちをして礼拝をしたしたものです。本殿前に立つと、ふと子どもの頃を思い出してしまいます。

トップの画像は、諏訪神社本殿正面の様子で干支でもあるネズミの画が大きく飾られていました。ネズミは私の干支でもあり、何回目かの順番が回ってきています。

                                                        2020.01.13 作成


ここでは、山門から境内に入り本殿、末社、ご神木の順番でレイアウトしてあります。毎年同じ順路なので、少々マンネリ化していますがご容赦願います。


諏訪神社・・・

江戸時代から今日まで、本地方で広く信仰を集めている代表的神社で、近代の社格は郷社。祭っている神は、開発の守護神である建御名方神(たけなかたのかみ)で、坂上田村麻呂将軍によって勧請されたと伝えられている。

享保十九年(1734)、本宮の地(市内幸町三番地内)から現在地に移り、南部藩から領地を与えられ近郷の総鎮守となった。川岸剣舞(廃絶)は諏訪大明神のお告げによって、前九年の役で滅んだ黒沢尻五郎正任の亡魂を鎮めるために踊ったのを始まりとする悪魔退散の民俗芸能で、この神社の神事芸能であった。

境内に場所の句風を受け継ぐ黒沢尻の俳人たちが、天明元年(1781)に建てた場所の句碑がある境内は昭和三十年都市計画道路の貫通によって三分の一が失われた。
                                              平成元年三月   北上市教育委員会

鳥居をくぐり本殿に向かう 1 鳥居をくぐり本殿に向かう・・・

駐車場が境内の中にありますので、車を駐車させてから一旦境内の外に出て、狛犬を見ながら鳥居をくぐり境内に入ります。
鳥居をくぐり本殿に向かう 2 鳥居が大きいので基礎も頑丈に出来ていました。正面には山門、その奥が本殿と続きます。いつものことですが、神社で撮影する時は、本殿から見て中心線を少し外して撮影をしています。
鳥居をくぐり本殿に向かう 3 鳥居をくぐり本殿に向かう 4

本殿 1 本殿に向かう・・・

松の内七日目ともなると、参拝の方々もめっきり少なくなります。それでも行列とまでいかなくても、切れ目が無いほどの参拝者が来られていました。

本殿内ではひっきりなしに大太鼓が鳴らされ、一年の御利益を願っての参拝が行われています。きちんと正装をした、会社社員の方々が見えられていました。

昨年まで見られなかったのですが、参拝の作法が白木の板に描かれ、きちんと絵入りで解説されていました。
本殿 2 本殿 3
本殿・・干支の絵 今年の干支の画です。私の何回目かの干支の年になり、がっちりと撮影しました。ちなみに七回目の巡りになるようです。年齢が分かりますね。

干支の画の側には、石に刻まれた鉄の兜姿の武人が乗馬していました。以前からあったでしょうか、今まで気になりませんでした。
本殿 4 本殿 5
本殿 6 勇ましい騎馬姿の武人です。良く見ると、鉄製の兜をかぶった石造りの像でした。
本殿前から左側の社務所に続く参拝路です。左側にはおみくじを吊す縄が張られてありました。

金勢社 末社二神社・・・

数カ所の末社が祀られていますが、今回は二ヵ所だけの画像です。

金勢社・・・

御祭神   猿田彦大神

金勢とは、光り輝く立派な物を意味し、精力絶倫の事であり、夫婦和合・子孫繁栄・縁結び・出産に効能あらたかなる神である。             
                      ※説明板より転記

稲荷神社 稲荷神社・・・

御祭神 倉稻魂神

稻??が語源とされ農耕をし、殖産商業を守護する神にして、日頃欠かすことのできぬ衣食住を司る神である。

                      ※説明板より転記


ご神木 1 ご神木・・・

諏訪神社境内にある巨木「サワラ」の木の根元空洞に、御幣が置かれています。

となりにある説明板によると、樹齢500年程になる北上市保存樹木とのことです。根元空洞と、神社本殿と組み合わせてみました。

ご神木 2 ご神木 3

本殿入り口上部に掲げられている扁額
おわりに・・・

本殿入り口上部に掲げられている扁額であり、金色の文字が目に映ります。その下の彫り物は何でしょうか。拡大してみると、大きな爪とつばさがある鳥のようにも見えます。

不謹慎と言われるかも知れませんが、我が家には神棚が二つあります。古い神棚は享保年代創設以来の神棚になります。毎年暮れになると、地元の新山神社から御札や飾り絵が届けられます。考えてみると、私で十代目になりますので、およそ三百年前から続く正月行事になります。

新しい方の神棚は、息子が大病をわずらった時、病気平癒の祈願を北上市に鎮座する諏訪神社でご祈祷しました。そんなことから、別棟の家には諏訪神社の神棚が祀られてあります。私の役目は、代々続く家の神棚を守る事にあります。年末から新年にかけて神棚を掃除し、先祖に感謝するお祈りをしています。

屋敷の古木の下には、これも年代物の御明神様があります。一年に一度だけ、ご先祖様に思いをつなげ、過ぎ去る年に感謝をし、新しい年の幸せを祈願しています。


諏訪神社・・・

江戸時代から今日まで、本地方で広く信仰を集めている代表的神社で、近代の社格は郷社。祭っている神は、開発の守護神である建御名方神(たけなかたのかみ)で、坂上田村麻呂将軍によって勧請されたと伝えられている。

享保十九年(1734)、本宮の地(市内幸町三番地内)から現在地に移り、南部藩から領地を与えられ近郷の総鎮守となった。川岸剣舞(廃絶)は諏訪大明神のお告げによって、前九年の役で滅んだ黒沢尻五郎正任の亡魂を鎮めるために踊ったのを始まりとする悪魔退散の民俗芸能で、この神社の神事芸能であった。

境内に場所の句風を受け継ぐ黒沢尻の俳人たちが、天明元年(1781)に建てた場所の句碑がある境内は昭和三十年都市計画道路の貫通によって三分の一が失われた。
                                              平成元年三月   北上市教育委員会

                                                       ※現場説明板より転記

                      ページの最初に戻る →