奥州市水沢・鎮守府八幡宮に戻る

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本殿 1 本殿・・・

正月を控えきれいに整備されていた境内や参道でした。神官さん家族や氏子の皆さんの仕事とは言え、大変だなあと思いました。

さすがに、まだ参拝される方々は見られませんでした。明日になれば違いますが・・。
本殿 2 きれいに飾られた門松や神社の大きな注連飾りです。神官様の奥様でしょうか、初詣での際のお守り等を販売する机や破魔矢などを並べて居られました。

残念ですが、本殿上の扁額を撮影するのを忘れていました。
本殿 3 本殿 4
本殿 5 本殿左側に、合格祈願の御札が吊されてあります。初詣に来られた受験生の皆さんが、願いをこめて購入する御札です。

画面下の右側ですが、本殿正面がガラス戸になっています。これは、2月1日に執り行われる特殊神事・加勢祭・そみんぼう神事の際に、この場所に神官様や氏子の皆さんが並び、いやあ・・・と気合いをかける場所になります。

私も外で撮影していたら、正面に来ると飛ばされるので脇の方から撮影して、と言われた事を思い出します。
本殿 6 本殿 7
末社 1

ご神木とも言える巨木のスギの木です。その脇に末社がありました。ここ鎮守府八幡宮にはあまり多数の末社が見られません。

末社 2 正面から接近撮影し扁額を記録しましたが、?神宮と書かれてあります。残念ですが、最初の文字が読めませんでした。何と読むのでしょうか・・?。


末社の稲荷神社 末社の稲荷神社・・・

通り道にあるお稲荷様です。中の板には、

・・神拝詞・・祓え給え 清め給え 神ながら 奇しみたま幸えたまえ (三唱)と書かれています。
神社裏の小さな祠等々 1 神社裏の小さな祠等々・・・

末社の稲荷神社を通り過ぎ、本殿の裏側に回ってみました。そこには、整然と配置されている無数と言える程の小さな祠と石碑等が並んでいました。
神社裏の小さな祠等々 2

黒い石に碑文が刻まれ、弘化三年九月・御崎大明神、金比羅?の大きな石碑が目に入りました。きれいに整備され、日頃の信心深さを感じました。

下の画像は、碑文が刻まれた板を中心に左右の方向から撮影してあります。私が読み取れるのはここまでで、他の石碑等の刻印は読み取れません。

神社裏の小さな祠等々 3 神社裏の小さな祠等々 4
神社裏の小さな祠等々 5 大きな右側が安政四年・天照大神、左側が天明二年・南無観世音菩薩、そして小さな祠がずらりと並んでいます。
神社裏の小さな祠等々 6 天明二年・南無観世音菩薩と読み取れます。

右側には、四国両国三度順礼水沢川??と読み取りましたが、四国と言ったら金比羅山ですか・・?。

もし金比羅山でしたら、一体何日かけて講中の皆さんが歩いたのでしょうか。日数はともかく命がけの講中です。
神社裏の小さな祠等々 7 大きな木の根元が中まで割れています。側には小さな丸い石に庚申、御崎宮、金比羅大権?等々と刻まれた石碑が建っています。

その他として、御神体は不在ですが、小さな祠が並んでいます。
神社裏の小さな祠等々 8 神社裏の小さな祠等々 9
神社裏の小さな祠等々 10 やっと見居着けたのが大国さん二体でした。米俵の上に座った笑顔溢れた表情は、小さな祠を撮影している私に何かを語りかけていました。心が安まる笑顔です。

最初、祠の中に大国様が安置されていたのでしょうが、多分ですが、今は氏子の皆さんの古屋の神棚に祀られているのかなと思いました。

我が家の古屋の神棚にも、大国様と毘沙門天が祀られています。一年に一回出してきれいにしています。
神社裏の小さな祠等々 11 神社裏の小さな祠等々 12

石碑の碑文

おわりに・・・

最初にもふれましたが、今回の鎮守府八幡宮を訪れたねらいは、正月を迎えるため正装なった神社の周辺を撮影する事にありました。実際に境内を歩き、落ち葉一つ無いほどには清められた状態にありました。広い境内ですから大変であったと思われます。

今まで鎮守府八幡宮へは五回ほど訪れていますが、神社裏側にある小さな祠や石碑に目を向けないでいました。今回はこの場所にカメラのレンズを向けてみました。

石碑に記された碑文を読んで気がつきましたが、先祖の偉業を大切にしている集落であればどこでも同じような課題に直面します。私達の先祖の皆さんが、家族・集落の安泰や農作業に携わる人達の無事を祈願して、遠方の御利益ある神社に集団で講中を組織し参拝してきました。今とは違い、自分の住める藩領地内ではなく他藩に存在する神社まで参拝に出かけます。無事に帰ってくると、必ずと言うほど大きな石に祈願した神社名を彫りこみ、集落の道路脇に置いて拝んでいました。

戦後のしばらくまでは、集落道路の交差点付近に大小の石に掘られた神社の石碑が見られていました。時代の流れと共に、農地の構造改善による大規模改修、それに伴う道路配置の変化等々で、道路脇にあった先祖達の参拝祈念の石碑は一ヵ所にまとめられていると思われます。私の住まいする集落とて同じ事が言えます。

鎮守府八幡宮裏にある大量の石碑群は、ばらばらななってしまう石碑の将来に危惧を感じた集落講中の皆さんが、自分たちの先祖達の苦労と祈願の偉業に感謝する願いで進めた成果だと思いました。


石碑の碑文から・・・

この石碑は、天保四年(1833)正月十日佐野宿の小路に当地の人々によって建立された記念碑である。以来、代々の子孫達は講中を組織し厚く信仰してきた。しかし世が変わり激動する時代の流れの中、その維持管理について憂慮すべき事態が生じてきた。ここに相談の結果、講中の総意のもと鎮守府八幡宮のご理解を得て、この地に移転鎮座したものである。
                  平成十七年(2005)吉日 佐野戊辰講              ※石碑の碑文から転記

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