紫波町・志和稲荷神社御神木に戻る
御神木の山を下りる・・・ 御神木の山まで上る時は、最短距離であるジグザグコースでした。距離が短い割にはかなりの体力を必要とし、目の前に見えていても御神木までは行けません。 帰りのコースは、ゆったりとした楽なコースを歩きました。 途中の通路脇には、色々な神様の卒塔婆柱が建てられています。ゆっくりと見ながら降りてきました。 縁結びの神 淡島大明神 福徳の神 大国主神 美容の神 豊玉姫命 学問の神 八意思金の神 安産の神 木花咲那大神 農業の神 大那牟遅神 と言った神々の名が書かれてあります。
茅の輪くぐりの由来・・・ 茅の輪くぐりとは、参道の鳥居などの結界内に、茅(ちがや)という草で編んだ直径数メートルの輪を作り、これをくぐることで心身を清めて災厄を祓い、無病息災を祈願するというものです。 茅の輪くぐりはに日本神話に由来します。スサノオノミコトが旅の途中に宿を求めた、備後国の蘇民将来(そみんしょうらい)との逸話が起源です。 貧しいにもかかわらず、喜んでスサノオノミコトをもてなした蘇民将来に対し、弟である巨旦将来(たんしょうらい)は裕福にもかかわらず宿を貸そうともしませんでした。数年後、再びスサノオノミコトは蘇民将来のもとを訪れ「疫病を逃れるために、茅の輪を腰につけなさい」と教えました。 教えを守った蘇民将来は難を逃れられ、それ以来、無病息災を祈願するため、茅の輪を腰につけていたものが、江戸時代を迎える頃には、現在のようにくぐり抜けるものになったといわれています。 (※ネット資料より抜粋)
奥州総鎮護 志和稲荷神社
御祭神 宇迦之御魂大神 猿田彦大神 大宮能売大神
御由緒・・・ 天喜五年(1057)源頼義・義家が安倍氏一族の征討のために下向され、志和陣ヶ岡に滞陣中、祈願のために勧請され、その後藤原秀衡管領のとき藤原氏の一族樋爪俊衡、同季衡が再建され、その後正平年間(1346〜1470)足利氏の一族 波家長が志和城主のとき社殿新築、その後は 波氏累代の崇敬厚く、七代詮直の代に再建せられた。 ※案内看板から抜粋
中風除け寿命神ご守護のご案内 私達の人生は、いつでも心身共に健康であってこそ幸福であると言えましょう。病は気の持ち方といわれますが、中風の病だけはどうもそうばかりではないようです。 どうすればいつまでも健康でいられるか、人の知られざる所に秘密があります。志和稲荷神社寿命神は、人の知られざるところにその秘密があります。志和稲荷神社寿命神は、中風除けに霊験ことのほかあらたかにましまして祈る人々の、健康をお守り下さいます。 神代の昔より、桑は病魔退散のお祓いに用いられ、不老長寿の妙薬にもなるほど、人間生活と大変密接な関係があります。日々健康でありますよう、御神像を「さすり」、自分の身体にありがたい御利益をいただきましょう。