神社仏閣アラカルトに戻る 2020紫波町・蜂神社
梅雨のシーズン、季節の花ごよみとも言えるアジサイの様子がテレビ等で紹介されています。その一環として。紫波町にある蜂神社のアジサイが紹介されました。 変わった名前の神社「蜂神社」ですが、平泉文化と関連し歴史的にも知られている場所、ここの丘陵地にアジサイが植えられているいます。定例の盛岡通院の帰り寄り道をし、蜂神社とアジサイを撮影してきました。 蜂神社とは珍しい名前でもありますが、史実を遡ると戦の武器として大量のハチの巣を利用し勝負あったと言うものでした。戦のあと、死んだ蜂を集め供養すると共に神社をこの地に建立し祀ったと言われます。 参道入り口にもありましたが、陣ヶ岡公園内にある陣ヶ岡アジサイ園の様子を後半で紹介致します。トップの画像は、境内にある陣ヶ岡歴史公園石碑と月の輪形・日の輪形とアジサイ園入り口です。 2020.07.19 作成
蜂神社・・・ 岩手県紫波郡紫波町の陣ヶ岡という丘に、「蜂神社」という名前の神社があります。この地は幾度となく合戦の場となっており、それが陣ヶ岡という地名の由来になっているそうです。そして、この神社のある場所は、古くは蝦夷の集落だったそうですが、大和朝廷が日本を統治してからは、陸奥国の土着の豪族、安部氏が居城を構えていました。 前九年の役といいますから時は平安時代後期の話です。安倍氏は朝廷への年貢を怠るようになり、独立勢力を形成するようになりました。そこで朝廷は源頼義を陸奥守として送り込み、安部氏の勢力を抑え込もうとします。 ところが派遣された源頼義は、安倍貞任の軍勢にとても手こずりました。おまけに当時、厨川柵と呼ばれた城を守る柵の周辺の藪にはたくさんの蜂の巣があり、兵士たちは刺されてほとほと困り果てていたのです。その様子を見た頼義は、ある作戦を講じます。夜になって蜂の巣を袋に取って集めたかと思うと、蜂を怒らせ、すかさず貞任の陣営に投げ込んだのです。怒った蜂達は、一斉に貞任軍を襲いました。それと同時に攻めかかった頼義軍は、見事勝利をおさめたのです。 蜂を使って勝利をおさめた頼義は、その蜂の死骸を集め、丁寧に葬ってこの「蜂神社」を建立したのでした。ちなみにこの蜂はスズメバチではなくニホンミツバチのようで、蜂を祀った社は全国でもとても珍しいといいます。 ※ネット資料から転記
陣ヶ岡陣営跡、月の輪形 日の輪形。昔の武将達の野営跡、蝦夷征伐の宿営跡等々色々と書かれてあります。
月の輪・日の輪・・・
月の輪・日の輪、前九年の役で陣ヶ岡に陣を構えた源義家が、池に源氏の旗印である日月-(太陽と三日月)が浮かぶのを見て勝利の現れと信じ、一気に厨川の柵へ攻め入ったという伝説が残っています。
狛犬(吽)・・・ 左足でカラフルな子犬を踏みつけています。 正面からの様相です。阿吽の姿はともかく、目の迫力がありました。手まりに対して子犬はどのような意味があるのでしょうか、分かりません。
陣ヶ岡歴史公園案内図・・・ カラフルな絵地図です。左端に首荒い池がありますが、知らなかったこともあり訪れていません。次回機会があったらにしておきます。