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            太宰府天満宮

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心字池に架かる太鼓橋入り口
所属する団体の全国研修大会で大分・別府市まで出かけてきました。福岡市から大分市に向かう朝、太宰府天満宮を参拝しましたが一時間の限られた中での参拝になりました。太宰府天満宮の詳細については事前学習をしていませんので、天満宮本殿までの様子を撮影した中からの画像編集になります。

朝ですからそれほど混み合っていないのですが、10月18日は「特別受験合格祈願大祭」がある日でもあり、本殿前にはテントとパイプ椅子が配置され、正面からの本殿を撮影することができませんでした。

トップの画像は、心字池に架かる太鼓橋入り口の様子です。日中は行列になると言いますが、うまい具合に撮影できました。解説文章は、神社で頂いた太宰府天満宮の記載を参考にしました。


菅原道真公・・・

太宰府天満宮魚祭神である菅原道真公は、当代一流の学者であり、優れた政治家でもありました。その生涯は、国家と天皇家のために命をかけ、栄達を極めた一方で、たびたびの挫折に見舞われたものであったと伝わります。

清らかな誠心のもとに、配所で薨去された天神様


太宰府天満宮・・・

祭神 菅原道真公
鎮座 延喜(えんぎ)三年
菅原道真公は、承和十二年六月二十五日京都の菅原院にて御生誕。国家の隆盛と文化の発展に尽くされ、延喜三年二月二十五日配所榎寺にて清明の一生を終えられ現在の御本殿の地に葬り、菅聖廟安楽寺天満宮と称えて奉祀す。政道守護学業成就、除災招福等の信仰厚く全国天満宮の総本社とも仰がれる御社であります。

太宰府天満宮社務所 (※境内看板より)


初詣の際には、九州はもとより日本全国から毎年200万人以上の参詣者がある。現在、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されている。



8:30 門前町・・・

駐車場から真っ直ぐに伸びる門前町を歩きます。まだ早いこともあり、両側に連なるお店屋さんもほとんど開いていません。名物は「梅ヶ枝餅」とのことですが、何軒かの店から声がかかります。なにせ、往復で一時間ほどの予定ですから時間がありませんので、のんびりとお土産店に入る時間はありませんでした。


西鉄太宰府駅から降り立つと目の前に表参道、天満宮の境内まで繁る門前町が現れ、様々な店が軒を連ねます。出来たてアツアツの梅ヶ枝餅を売る店が実に四十軒をこえ、圧倒的に多く、「食べていかんね」の声を聞きながら賑わう参道を抜け、鳥居をくぐり神域へと続きます。 
 


「梅ヶ枝餅」・・・

太宰府天満宮の名物と言えば「梅ヶ枝餅」。もち米で作った生地の中に粒餡を入れて焼き上げた素朴な味わいが人気で、門前町のあちこちの茶店や土産店で販売されています。その起源は、浄妙尼という老女が菅公の御心をなぐさめるためにさし上げたとも、菅公薨去に際して霊柩に供えたものともいわれ、除災招福の霊験が伝わります。

(※頂いた資料・太宰府天満宮より)


残念でしたが、追いついて撮影することに夢中になっている私は食べそこないました。
門前町の様子 1

駐車場からまっすぐ続く門前町、地図で調べると400mほどあります。皆さんは歩道を歩きますが、信号から先の道路は石畳になっていました。

門前町の様子 2 石畳の道路は車道であり、センターラインこそありませんが車が走ります。この場所の歩道はかなり広く、以前から参拝される方が多いことからの配慮だと思いました。
門前町の様子 3 西鉄太宰府駅です。天満宮の紋所は梅印ですから、駅名の看板にも梅模様が描かれてあります。

この門前町、通行制限は駐車禁止だけで一方通行でもありませんでした。車道幅が鳥居の幅ですから狭いのですが・・。
門前町の様子 4 門前町の様子 5
門前町の様子 6 素敵だなあと思ったのがゴミ箱です。箱の上に「桜花 主を忘れぬものなれば 吹き込む風に ことづてはせよ」 菅原道真と書かれてあります。

歴史と詩情豊かな太宰府へようこそ・・と書かれたゴミ箱もありました。

境内参道入り口 駐車場からおよそ400m程歩いた場所に鳥居があり、これをくぐると天満宮の境内参道になります。

駐車場から一直線に伸びる門前町ですが、一の鳥居から境内入り口まで、大きな鳥居が何個あったでしょうか。
境内参道 1・・・七百年前の鳥居とのことです。 中世の鳥居・・・

花崗岩製の明神型の鳥居。太鼓橋の手前に建てられており、高さは6.17m笠木の反りはゆるやかで、柱高より柱間が広く造られています。

神社明細図には、「筑前国有坂城主新田大炊介建立」と記載されているものの、建築年代は不明。形式から、南北朝から室町時代と見られています。

鳥居の右側に神牛がありました。
神牛 1 神牛・・・

境内のあちこちで見ることができる神牛。菅公が承和十二年(845)乙丑歳のご誕生であり、本殿建立の聖地が牛との神縁によって定められたことに由来し、奉納されています。

自身と牛の同じ部分を互いに撫でさすると病気を全快するといわれ、神牛の頭をさすると、知恵が付くという信仰があります。


数多くの参拝者にさすされ、地肌が出ている撫で牛です。
神牛 2 神牛 3
境内参道 2 中世の鳥居となっていますが、立て札には・・・この鳥居は今からおよそ七百年前、南北朝時代に建立されたと推定され、九州では最古といわれている。筑後国城主新田大炊介寄進と記されている・・・と書かれています。

この鳥居くぐると天満宮までは一直線の方向になり、最初に渡るのが心字池に架かる太鼓橋になります。

境内参道 3 8:44 太鼓橋・・・

過去・現在・未来を渡る橋。漢字の「心」の字を象った池に架かる御神橋は、太鼓橋、平橋、太鼓橋の三橋。

手前から過去・現在・未来を現し、三世一念の仏教思想を残したものと伝わります。

朱色の欄干を持つ太鼓橋は急な勾配で、反り橋とも呼ばれ、この橋を渡ると心身ともに清められるといわれています。
境内参道 4・・・平橋 中央にある平橋の部分で、渡りきった場所に重要文化財の志賀社があります。

その奥には三番目の太鼓橋があります。
境内参道 5・・・志賀社 志賀社・・・

精巧な造りと変化のある屋根を持つ工芸品。
心字池の畔に建つ檜皮葺きの社。

太宰府天満宮の末社として、梅の神綿津見三神が奉祀られています。

神社明細図には、室町時代の長禄三年(1458)に再建されたと伝わり、正面に千鳥破風と一間の向唐破風造りの向拝が付く禅宗様、大仏様、和様を組み合わせてあります。
境内参道 6・・・心字池 心字池・・・

漢字の「心」の字を象った池となっていますが、撮影場所が太鼓橋の上からですから全体の様子は分かりません。
境内参道 7 三番目の太鼓橋から奥の参道です。参道周辺には太い楠が何本も繁り、南国の様子と神社の雰囲気をかもし出しています。
境内参道 8

二番目の太鼓橋を降りると大鳥居があり、その奥にきれいな門が見えてきます。

橋を降りた右側に青銅の彫り物があり、きりんとウソの彫像でした。

麒麟、中国の瑞獸思想上の姿、本物とは大違いです。 麒麟(きりん)・・

麒麟(きりん)は中国の瑞獸思想上の動物で、聖人が現れて王道が行われ時に出現すると伝えられ、菅公御聖徳をたたえたものといえる。

今のキリンとは違い、想像上の姿です。
鷽(うそ)、鷽替え神事由来の鳥とは知りませんでした。 鷽(うそ)・・・

鷽は、一月七日、一年中の嘘を天神様の誠心と取り替えていただく鷽替え神事縁の鳥で、幸運を運ぶ天満宮の守り鳥でもある。

嘉永五年(1852)に奉納されたもの。


ウソは春先、桜の花芽当を食べ荒らす鳥としか知りませんでした。
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