これからのこと・・・
境内の紅葉が期待できなかったので、裏山の通路を登ってみました。春に訪れた時は、通路一杯にカタクリの花が咲き乱れ、足の踏み場が無かった事を思い出しました。カエデの葉のある所を見つけ、逆光線を取り入れて残っている紅葉を強調してみました。右下の屋根が本殿になります。
このページを作成するため、三十三観音を始め知らないことが多いのでネット資料で調べてみました。馬頭観音とは馬を祀るためとばかり思っていた私・・、とんでもない無知であったことに気がつきました。観音様の表情も二つあり、柔和な表情のほかに憤怒の表情があるとは・・・、知らないこととは言え恥ずかしい限りです。
こうなると憤怒の表情がどのようなものか知りたくなるのは当然です。本殿の中に祀られている本尊は、三十三年毎に御開帳と言いますので無理な話しです。近場の観音様巡り等々から資料を得て馬頭観音像を拝見したいものです。また言わずもがなのことですが、農家にとって馬をはじめとする牛などの力が農作業の大きな頼りになっていました。ですから、馬頭観音の石碑を建立することは当然でもあったと思います。
身近な信仰対象としての三十三観音の探訪、どうやらこれからの課題にもなりそうです。
馬頭観音・・・
馬頭観音、梵名ハヤグリーヴァは、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身の1つであり、六観音の一尊にも数えられている。観音としては珍しい忿怒の姿をとる。
梵名のハヤグリーヴァは「馬の首」の意である。これはヒンドゥー教では最高神ヴィシュヌの異名でもあり、馬頭観音の成立におけるその影響が指摘されている。 他にも「馬頭観音菩薩」、「馬頭観世音菩薩」、「馬頭明王」など様々な呼称がある。衆生の無智・煩悩を排除し、諸悪を毀壊する菩薩である。
転輪聖王の宝馬が四方に馳駆して、これを威伏するが如く、生死の大海を跋渉して四魔を催伏する大威勢力・大精進力を表す観音であり、無明の重き障りをまさに大食の馬の如く食らい尽くすという。師子無畏観音ともいう。
他の観音が女性的で穏やかな表情で表されるのに対し、馬頭観音のみは目尻を吊り上げ、怒髪天を衝き、牙を剥き出した忿怒(ふんぬ)相である。このため、「馬頭明王」とも称し、菩薩部ではなく明王部に分類されることもある。 また「馬頭」という名称から、民間信仰では馬の守護仏としても祀られる。さらに、馬のみならずあらゆる畜生類を救う観音ともされ、六観音としては畜生道を化益する観音とされる。
(※ ウイキペディアより) |