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         新緑の奥州市・黒石寺


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参道二段目の境内広場から見上げた本堂。
新緑の奥州市・黒石寺・・・

先頃のことですが、平泉の田んぼアートのその後の様子を撮影するためにドライブしました。平泉までは国道四号線を南下するのが普通ですが、今回は北上川の東側コースを走りました。たまたまですが、黒石寺のアジサイを見たくなりちょっぴり寄り道しました。

記憶にあったアジサイ、植え替えをしたのか数が減り背丈も低くなっていました。残念ですが、イメージと大違いでがっかりしました。そんな時、訪れる方が誰もいない黒石寺の境内が見えてきました。新緑の中にひっそりとたたずむ黒石寺、その様子を撮影するため参道を登りました。


黒石寺・・・

天台宗の古刹黒石寺は、七二九年(天平元)行基菩薩の開基で、当時、「東光山薬師寺」と銘うって建立され、八四九年(嘉祥二)妙見山黒石寺と改名した。

そのころ、、伽藍四十八宇を数えたと言うこの寺も、延暦、天保年間そして一八八一年(明治十四)の三度の火災にあい、本堂をはじめ伽藍の一切を失い、現在のものは一八八一年(明治十七)に再建されたものである。

この寺の本尊は、木造の薬師如来像座像で、像には「貞観」年号の銘があり、おおよそ千百年前の作品として、木造造形座像(別名慈覚大師像)とともに、国の重要文化財に指定され、収蔵庫に安置されている。

また、この寺で、旧正月七日夜から翌暁にくりひろげられる奇祭「蘇民祭」は、まさに男性的壮観の絵巻物である。
                                                   
                                                     奥州市(※案内説明板より)



トップの画像は参道二段目の境内広場から見上げた様子です。ここでは、新緑に包まれた歴史ある黒石寺の様子を紹介いたします。                                                   


駐車場からの眺め 駐車場から

駐車場の斜面にアジサイが咲いていたと覚えていましたが、植え替えをしたようで背丈が低くいアジサイしか見当たりません。

周囲を眺めていたら、参道に通じる斜面に何本か咲いています。

池とアジサイの組み合わせと思いましたが、足場が悪く、心に描いた場面での撮影はできませんでした。
「妙見山黒石寺」の看板 駐車場から降りて参道入り口に向かいました。

この場所は何回も通っていますが、今までの訪れは厳冬期に執行される蘇民祭の夜間、あるいは下見の時でした。

新緑に映える寺院の見学、ゆったりとした気分での訪問は今回が初めてのことになります。

「妙見山黒石寺」の看板を眺めながら右手に進むと、参道入り口になります。

参道を歩く 1 参道・・・

本堂まで一直線に伸びる参道です。

長い石段が二段、途中に広場の境内が見えてきます。

参道左側に池があり、崖の斜面にはアジサイが咲いていました。
参道を歩く 2 一段目の石段です。

石段の両側に水の流れ落ちる水路(側溝)があり、常時上から流れ落ちて来る水に目がいきます。
参道を歩く 3 一段目の石段を登ると両側に境内広場が広がります。

誰もいない境内ですが、蘇民祭の時は立ち入る隙間が無いほど人出で埋まります。

そんなことを思いながら周囲を見渡すと、何故か不思議な気持ちになってきます。

あと一段上ると、本堂下の境内広場になります。

境内散策 1 境内散策・・・

一段目の石段を登り切った両側に広がる境内広場です。

右側敷地には庫裡と住職の住屋があり、土塀の端に鐘楼があります。

今はのどかな佇まいですが、蘇民祭の時は鐘楼から発する鐘の合図で一切の動きが仕切られます。

目の前の石段、自然石を積み重ねただけのものですが、気をつけて歩かないと足が滑ります。
境内散策 2 石垣の上に土壁で囲まれた、庫裡と住職の生活エリアです。

この中には見学者が立ち入ることができませんが、蘇民祭が近づくと庫裡を中心として全ての準備がなされるようです。

檀家衆でなければ、立ち入って見学する事は無理だと思われます。

はがれ落ちた土壁、上から伸びている松の枝、風情のある光景です。
境内散策 3・・・一階は御供所、二階は鐘楼。 鐘楼の正面に出てみました。障子窓が鐘の形をしているのは、どこの寺院でも見られます。

一階は御供所といって、以前は、ご本尊に供える供物を準備する所でした。

二階は鐘楼で、貞享三年(1686)に山野目の豪商阿部隋波、小平次親子が寄進した梵鐘がつるしてあります。

梵鐘には、黒石寺鐘銘として二百字ほどの由緒書きが漢文で刻字してあります。
     (※説明板より)
境内散策 4・・・柴燈木登りが行われる場所。 一段高い場所に本堂が建立されています。

下の境内広場は今はのどかですが、蘇民祭の時はこの場所に井桁の柴燈木(さいとうぎ)が組まれ、裸の男衆の姿が炎の中に浮かび上がる幻想的な場になります。
境内散策 5・・・中尊寺入り口の月見坂のイメージです。 境内広場の奥の方に目をやると、うっそうとした杉木立が続く道路が見えてきます。

この場所には立ち入りませんが、中尊寺入り口の月見坂のイメージに似ています。

鐘楼側から見た本堂 1 本堂(薬師堂)

庫裡から続く境内広場の一段高い場所に、本堂(薬師堂)が建立されています。

誰もいない場所で、じっくりと本堂を眺めることが無かった私です。

引き込まれるような静けさ、喧噪を忘れた世界がありました。

この場所に来たのは厳冬期の夜間の人混み、マイナスの世界でしたから余計感じるのかもしれません。
鐘楼側から見た本堂 2

本堂(薬師堂)

黒石寺は、天平元年(729)行基菩薩の開基で、東光山薬師寺と称しましたが、延暦年間(782〜805)に戦火にあい消失しました。大同二年(807)に、飛騨の工匠が薬師堂を再建し、嘉祥二年(849)に慈覚大師円仁復興して妙見山黒石寺と改名しました。

それから一千有余年栄枯盛衰の時を経て今に至っています。

     (※説明板より)


最後の石段両側には、鉄製の狛犬が正面を向いています。

小高い場所にある「妙見堂」登り口 本堂左側の小高い場所にある「妙見堂」登り口です。

杉木立に覆われはっきり見えませんが、かなりきつい石段があります。

蘇民祭の時は、裸の男衆がこの場所を三回回りますが雪で滑ったり大変です。

登り口に細長い杉の木があったので、超広角レンズで取り込んでみました。


資料集「天台宗妙見山黒石寺」によると、・・・平泉藤原氏三代帰依最も篤く、灯油の地を寄進される。天正年代(1573〜92)、葛西氏より爾田(お墨付きの田)を寄進され、伊達公もこれにならい、歴代藩公もしばしば妙見山と薬師如来参拝に訪れている・・・。
「薬師如来」と書かれた扁額 本堂正面に掲げられている「薬師如来」と書かれた扁額です。

誰もいないと思っていたのですが、入り口の大きな扉が開き数名の方々が出てこられました。

団体の見学らしく、 案内役は女性住職でした。挨拶をしてその場を離れました。

本堂前の格子戸、この前で下帯姿の男衆が集まり蘇民袋争奪戦を行います。

アジサイの花を求めて気軽に訪れた黒石寺です。新緑に覆われ薄暗い場所もあり撮影が少し大変でしたが、いつもとは違った姿を撮影できました。改めて思いますが、神社や寺院に向かった時、心にじーんと迫る何かを感じさせます。心に感じた内容をどれほど画像に表現できたのか、じっくりと考えると向き合う自分の心の有りように関わって来ると思います。

賑やかな蘇民祭とは関係なく、千年以上前の昔から人々に信仰されてきた黒石寺の魅力を、改めて確かめてみたいものです。
                                                       (2014.07.09 作成)

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