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        奥州市江刺区・五十瀬神社



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拝殿と末社、そして石碑群のある境内の様子

奥州市江刺区・五十瀬神社・・・

江刺区稲瀬・蔦木集落に東北新幹線と県道、そして大河・北上川の三本が並行して走る場所があります。車で走りながら新幹線橋脚北側に目をやるとぽつんと赤い鳥居が見えており、ここから石段を上った丘の上に五十瀬(いそせ)神社が鎮座しています。

今までうん十年の間、側の道路を車で走り神社の存在をその都度確かめながらも、何故か訪れたことがありませんでした。今回神社や石碑の関わりを求めて撮影している内に、身近な神社の存在を思い出し訪れました。六月の下旬頃ですが、曇り日の静かな日でした。日がさしていないために暗いのですが、光の状態が柔らかく緑が目にしみる静かな一時でした。

トップの画像は拝殿と末社、そして石碑群のある境内の様子です。


由緒・・・

文治五年(1189)、平泉の藤原泰衝が滅んだ時、その妻が残党を率いて白旗城に立てこもり、城内の岩に皇大神を祭ったのおこりと伝えられ、その城跡といわれる場所が北200mほどにある。それは伊達政宗に謀殺された和賀忠親に妻だったともいう。

明治八年村社となり、境内に深山社、伊勢社があったという。神仏分離までは本尊十一観音の観音堂であり、現在も江刺三十三観音三十番札所として信仰されている。
                                                         (※稲瀬郷土誌より)

                                                      (2014.10.24 作成)

神社入り口 新幹線、県道。奥の堤防の下に北上川が流れています。

橋脚をくぐった場所が駐車場になります。

赤い橋が見えていますが、北上市展勝地にある頭首工から流れてくる農業用水路になります。
参道 1 用水路に架かる橋を渡った場所から眺めると、五十瀬神社の標柱と正面に赤い鳥居が見えてきます。
参道 2 鳥居には五十瀬神社と書かれた扁額が掲げられ、その下に整然と整備された石段が上まで続きます。
参道 3 右側に鉄の鎖が付けられた石柱が並び、上まで伸びています。

何段あったか忘れましたが、一気に登る石段ではなく、適当な間隔で踊り場があった事です。

境内の様子 1 石段を登り切り境内に入ります。

この場に立って一息入れていると目の前を走り抜ける新幹線の車両が見えます。

木立の中からですが、丁度列車の窓の高さと同じであり、いつも聞いている車両通過の音とは違いました。

ゴーッと言うもの凄い音なのです。
境内の様子 2 境内の様子を眺めてみました。正面に社殿があり、左側に石碑群、右には末社がありました。
境内の様子 3 ほぼ正面からの様子です。正方形の社殿ではなく、奥にも本殿というのでしょうか建物があります。
境内の様子 4 五十瀬神社と揮毫された扁額ですが、字が薄れてきて読みにくい状態です。

壁にはかなりの数の木札や紙札が張られていました。

字が薄れて読みにくいのですが、観音堂へ参拝した記念に奉納したものと思われます。
境内の様子 5 右隣にある山の神の小さな祠です。

石碑群 1 境内の石碑群ですが、稲瀬郷土誌に記載があり明治十六位年以下十となっています。

可能な限り撮影してましたが、光線状態が良くなないので付属のストロボを使用しました。
石碑群 2 三基の拡大です。左端は念仏??、画像を拡大してみたら庭元、大先生、先生の文字を見つけ、年代は昭和初期でした。

予想として念仏剣舞の碑かなと思われます。

中央は見えなくて不明、右端は南無阿弥陀佛でした。
石碑群 3 金比羅神、古峰山、天照皇大~の三基は、明治の初め頃の建立と見ました。
出羽三山丑年御縁年詣り記念碑

第三十六番江刺市稲瀬蔦の木、四級社五十瀬神社社歌

朝夕に
あほぐ三照の大御神
みのりをいのる
つたのきの里

奉納 出羽三山丑年御縁年詣り記念、平成九年吉日奉納と記されています。

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