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       奥州市胆沢区・見分山薬師堂


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正面左側より見た薬師堂の様子
奥州市胆沢区・見分山薬師堂・・・

十月末のことですが、胆沢ダム猿岩周辺の紅葉を撮影した帰り小山地区を回って帰ってきました。途中寄り道したのが、「ふるさと南都田を再発見しよう」の地図を頼りにした見分山薬師堂でした。

資料に書かれた内容によると、・・・天台宗中尊寺の末寺。慶安年中(1650)頃、修験宝性院が病床にあって夢告を受け、荒れ果てていた薬師堂跡から松浦さよ姫が守り本尊としていた像を掘り起こし再興したものという。

像の大きさ一寸八分、本尊は33年に一度の御開帳で、次は平成39年(2027)である。眼病に霊験あらたかな薬師清水のお堂として、宮城県北から岩手県南部の信仰を最近まで集めていた・・・。

何故か、眼病に霊験あらたかなと言う書き出しに惹かれるのは、息子の眼病平癒を願う気持ちによるものです。かなり前のことですが、普代村の鵜の鳥神社例大祭の時にもありましたが、奥の宮に登る山中の清水が眼病に効き目があるとの案内看板でしたが、清水のあまりの汚れさに手を出さなかった覚えがあります。

平泉中尊寺の末社に薬師神社があり、眼病平癒のお守りを購入したことがあります。薬師神社と眼病平癒の関わり、調べて見たいなと思います。

トップの画像は、正面左側より見た薬師堂の様子です。


薬師堂・・・

安永風土記に記載される薬師如来堂は、元来羽黒系修験に関係する御堂であったが、現在は平泉中尊寺の末寺となり、「天台宗」に属しています。

建築様式は、拝殿・弊殿・本殿からなり入母屋造りの神社形式となっています。神仏混交時代の名残が今に残る貴重な御堂です。祭日は、四月八日。

当堂には、別当八世宝性院明盛が荒れ果てた堂跡から伝説で知られる佐用姫の念持仏を掘り出し、薬師瑠璃光如来として安置したとされる由来があります。

薬師堂にとって、止止井の大沼の大蛇を調伏した佐用姫物語の登場は、如来仏の有難さを強く表し、佐用姫の母の盲目と結び付いて諸病の中でも特に眼病に霊験があるとされ今もって参詣者がたえません。参道には胆沢町有形文化財指定の「やくしみち」道標があり、その霊験さが窺えます。

平成二年  胆沢町教育委員会
                                                     (※境内の案内看板より)


                                                     2015.01.03 作成


参道入り口左側にあった石塔。 参道入り口左側にあった石塔です。建立されてからまだ新しくきれいでした。

化粧坂とはこの周辺の地名です。
杉木立の長い参道 杉木立の長い参道でした。訪れる方は誰も居らず私一人です。

木立の中の木漏れ日、境内の雰囲気たっぷりでした。

薬師堂 1

薬師堂の手前に久須志神社が鎮座しています。

案内看板を読むと、宗派は天台宗で、この薬師堂は平泉中尊寺の薬師堂末社になります。

そう言えば、中尊寺参道に薬師堂がありここでも眼病平癒のお守りが販売されていました。

薬師堂 2 正面から見た様子、かなり傷んでいるようにも見えますが、それだけ歴史があると言うことでしょう。
薬師堂 3 扁額部分の拡大画像です。薬師如来の文字が目にしみます。

末社かどうかは定かではありませんが、古い石碑がずらりと並びます。
拡大画像にしたら異様な形に驚きましたが、じっくり見ている内に姿が浮かんできました。

左端の石碑を見ていると、衣をまとった人形の姿が浮かび上がり、目、口も見られます。
笹竹と縄で囲われた石碑 1 数多くの石碑の周囲を笹竹と縄で囲ってあります。笹竹の先には御幣が挟まれてあります。最初見た時は、弓矢と縄で作られた結界かと思いました。

今までこのような形の物は見たことがありませんので、ちょっぴり驚きました。石碑の文字は私が読める物で、金華山、金花山が確認できます。
笹竹と縄で囲われた石碑 2 笹竹と縄で囲われた石碑 3
笹竹と縄で囲われた石碑 4 端っこにあった三基の石碑、山神塔、庚申塔の文字が読めます。
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