平泉町・達谷窟毘沙門堂に戻る

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岩面大佛(磨崖仏)・・・

かなり以前に見た時より、かなり崩落が進んでいる感じがしました。顔面とむねの部分のみですが仕方ありません。頂いた資料にも書かれていますが、何らかの保存対策を考えないと風化などの影響で失せてしまう感じもします。ここでは少し大きく切り取って編集してみました。


岩面大佛・・・

毘沙門堂西方の約10丈(約33m)にも及ぶ大岸壁に刻まれた摩崖仏は、前九年後三年の役で亡くなった敵味方の諸霊を供養する為に陸奥守源義家公が馬上より弓はず以て掘り付けたと伝えられている。

この大佛は高さ55尺(約16.5m)、顔の長さ12尺(約3.6m)肩幅33尺(約9.9m)全国で五指に入る太像で、「北限の摩崖仏」として名高い。

元禄9年(1696年)の記録に「大日之尊體」(岩大日)その後岩大佛と記され、現在は岩面大佛と呼ばれている。・・・中略・・・明治29年に胸から下が下が地震により崩落し、現在も摩滅が進んでおり早急な保護が叫ばれている。

                                                          ※案内説明板より

岩面大佛(磨崖仏) 1 道路から・・・

一関方面から車で走行してくると、正面にはっきりと浮き出る上半身の摩崖仏です。

その時の光線のあたり具合で、見え方が違ってくるようです。
岩面大佛(磨崖仏) 2 岩面大佛・・・

胸から下の模様が崩落し、不明なのが惜しまれます。

地面の案内表示を入れてみました。

かなり背が高いことが分かります。
岩面大佛(磨崖仏) 3 顔面と胸の一部の縦位置切り出しです。
岩面大佛(磨崖仏) 4 横位置で上半身の様子になります。
岩面大佛(磨崖仏) 5 横位置での顔面拡大。
岩面大佛(磨崖仏) 6 この場所になにやらあったらしいのですが・・。
岩面大佛(磨崖仏) 7 どうやら顔のようにも見えますが、真偽の程は不明です。


辨天堂 1

辨天堂・・・

風が無かったので、池の水面に写り込むお堂の姿ががきれいです。


辨天様は巳年守本尊。技藝・福徳・知恵の神。

「辨天には銭上げて拝め」と言われる金運商売の神である。

仲良き男女は共に参らぬ事。悋気な天女の前で縁結びを願うと逆に縁切りになる。

   ※案内説明板より

辨天堂 2 難しい名前の池です。

蝦蟆ヶ池(がまがいけ)と読むそうです。水面に映り込んだ橋が特にもきれいでした。

ここは神の池で、ここに棲む生きとし生けるものは、古来から辨天様の御使いであり、特にも蛇はその最も尊いものとされている。
    
    ※ネット資料から


姫待不動堂 1 姫待不動堂・・・

平泉から達谷窟毘沙門堂に来る途中、道路脇に大きな石があり髢石(かつらいし)と名前が付いています。巨岩の様子から伝説が語られています。

・・・姫は逃げようとしたが、途中の滝で待ち伏せされ捕らえられた。姫が再び逃げ出せないように、姫の黒髪を切り落として岩に掛けたところ、巨岩はこのような姿になった・・・。堂宇は藤原基衡によって建立されたが、老朽が進んだため、寛政元年(1787年)、現在地に移された。

                        ※ネット資料から
姫待不動堂 2 姫待不動堂 3


金堂 1 金堂・・・

延暦21年(802年)、達谷川対岸に建立されたが、延徳2年(1490年)の大火で焼失後、江戸時代に現在地に客殿が建立され金堂としての役割を果たしていた。

明治初年の廃仏毀釈でこの客殿は破棄され、昭和62年(1987年)に再建が始まり、昔ながらの工法で平成8年に大堂が完成した。

本尊は新鏡山上の神木の松で刻まれた約1.2mの薬師如来である。

※ネット資料から

鐘楼 1 鐘楼・・・

毘沙門堂、鹿島社と共に慶長20年(1615年)の建立と伝える。江戸時代には伊達藩が毘沙門堂と共に屋根の葺き替えを行ったことが記録に残る。

かつては板葺きで120貫(約450kg)の洪鐘を吊っていたが、昭和19年に戦時供出。昭和58年に150貫(約563kg)の洪鐘を新鑄。

鐘楼 2 今でも五ッ(午前8時、辰刻)九ッ(正午、午刻)七ッ(午後4時、申刻)に昔ながらの打鐘で時を知らせている。

    ※ネット資料から
イチイの木 1 イチイの木・・・

私の地域ではおんこの木と呼んでいます。

雪釣りがされた木、そのバックには鐘楼が見えていました。
イチイの木 2

正面から見てびっくりです。「大オッコウ」、樹齢が五百年とありました。

エーッ本当ですかと思わずつぶやきました。その割には樹高と枝の拡がりが小さいのです。

多分ですが、元株の所から何代にも生えてきているのでしょうか・・。

イチイの木 3 「大オッコウ」の根元から遣り水のような流れがあり、何とも言われない雰囲気が出ていました。

おわりに・・・

達谷窟毘沙門堂の訪問は、1月2日に開催される百数十年ぶりに復活する鬼儺會(おにばらえ)の裸参りの下見でした。私としては当日は晴れて、がっちりと撮影出来るものと期待し楽しみにしていました。

しかし、当日はあいにくの雨降りになりかなり強く降っています。吹雪ならば撮影には影響しませんが、雨降りではカメラが使えません。本当に残念でしたが平泉まで走るのを断念しました。

新聞報道に寄れば、鬼儺會(おにばらえ)の裸参りは予定通り行われたようですが、あいにくの冷たい雨の中でと記事が書かれてありました。二十名ほどの男衆が百数十年ぶりに気勢を上げ無事に終了したようでした。良かったなあと思いながら、やっぱり出かけるのだったなあと云う気持ちが生じました。欲を言っても仕方ありませんので、来年以降に望みをかけて今回の復活に拍手を送りたいなと思います。
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