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金堂・・・
延暦21年(802年)、達谷川対岸に建立されたが、延徳2年(1490年)の大火で焼失後、江戸時代に現在地に客殿が建立され金堂としての役割を果たしていた。
明治初年の廃仏毀釈でこの客殿は破棄され、昭和62年(1987年)に再建が始まり、昔ながらの工法で平成8年に大堂が完成した。
本尊は新鏡山上の神木の松で刻まれた約1.2mの薬師如来である。
※ネット資料から |
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鐘楼・・・
毘沙門堂、鹿島社と共に慶長20年(1615年)の建立と伝える。江戸時代には伊達藩が毘沙門堂と共に屋根の葺き替えを行ったことが記録に残る。
かつては板葺きで120貫(約450kg)の洪鐘を吊っていたが、昭和19年に戦時供出。昭和58年に150貫(約563kg)の洪鐘を新鑄。 |
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今でも五ッ(午前8時、辰刻)九ッ(正午、午刻)七ッ(午後4時、申刻)に昔ながらの打鐘で時を知らせている。
※ネット資料から |
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イチイの木・・・
私の地域ではおんこの木と呼んでいます。
雪釣りがされた木、そのバックには鐘楼が見えていました。 |
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正面から見てびっくりです。「大オッコウ」、樹齢が五百年とありました。
エーッ本当ですかと思わずつぶやきました。その割には樹高と枝の拡がりが小さいのです。
多分ですが、元株の所から何代にも生えてきているのでしょうか・・。
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「大オッコウ」の根元から遣り水のような流れがあり、何とも言われない雰囲気が出ていました。 |