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 三陸沿岸被災地 その2・高田松原奇跡の一本松


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気仙川堤防から見た一本松遠望。正面の土台跡は、「県立高田松原野外活動センター艇庫」跡になります。

高田松原・奇跡の一本松・・・

8月22日でしたが、ほっづぎある記の記事でダイジェスト版の形で紹介した高田松原・奇跡の一本松です。

2011年(平成23年)3月11日発生した東日本大震災では、この地震によって引き起こされた高さ10m以上の大津波に呑み込まれ、数万本あった全ての松がなぎ倒されてしまいました。

奇跡的に倒れずに残った1本、 高さ30mのこの松は震災直後から「復興のシンボル」とされ、「希望の松」、「希望の一本松」、「ど根性松」などと言われるようになっていました。残念なことですが、生き延びさせようと懸命の処理等が行われましたが、現在では完全に枯れ死しています。(※8月22日のほっづぎある記より)


あれから少々時間が経過していますが、改めて奇跡の一本松の様子を詳細に紹介したいと思います。29日の夕方でしたが、テレビで奇跡の一本松について報道されていました。・・・記念モニュメントの形で永久保存するため、幹の部分を五つに切断し保存処理をする。切断は9月12日を予定している。完成したモニュメントは同じ場所に再現する・・・とのことでした。

今まで何回となくR45を通過していますが、奇跡の一本松は離れた場所から望遠レンズで撮影するのみでした。

トップの画像は、気仙川河口堤防から見た一本松の遠望です。左から処理場からの排水路、奇跡の一本松、陸前高田ユースホステル、右端が古河沼と海面との水位調整ゲートになります。今までこの場所までは入ることが出来ませんので、私にとって貴重な画像になりました。
                                                       (作成 2012年8月30日)


一本松入り口 1 入り口の様子・・・

8月20日でしたが、南三陸町歌津地区のヒマワリを見た帰りに一本松を見ながら走っていたら、何と、立ち入り禁止が解除されていました。

駐車場(空き地ですが)は他県の車が多く、遠い場所では京都ナンバーも見られています。お盆の帰省や夏休みの家族ドライブもあったと思われます。

現場までの地図があり、一本松までの通路が明示されています。海岸よりの場所は瓦礫の集積場であり、大型重機が動いていました。
一本松入り口 2・・・現場までの見取り図の拡大。 一本松入り口 3・・・瓦礫の奥に見える一本松。
一本松入り口 4・・・;ここから入ります。右側はR45。

7月10日にこの場所に来ましたが、ロープが張られ車は入ることができません。

しかし、徒歩での通行は制限されていませんので、画面中央奥まで歩いてみました。堤防のつきあたらロープが張られ、そこから先は瓦礫等の集積場になっていて立ち入り禁止でした。

今回は「奇跡の一本松」の看板が置かれ、かなりの皆さんが駐車場から歩いていました。往復すると2kmほどあったと思いました。進むにつれて、一本松や水位調整門が見えてきます。

一本松入り口 5・・・ロープで仕切られ迂回路になっていました。 一本松入り口 6・・・工事用の道路が開放されています。正面は調整水門。

気仙川河口堤防から・・・

堤防につきあたった場所で左折し堤防沿いに進みます。立ち入り禁止ではなかったので、堤防に上り気仙川の様子を眺めてみました。

根元が折れ曲がった標識があり、その向こうには大津波の直撃で大破した気仙中学校が見えています。

気仙川堤防から 1
気仙川堤防から 2 川の上流に目をやると、流失した気仙大橋の下流に架けられた仮橋(気仙大橋)が見えています。仮橋の様子は以前のページを参照してください。

堤防から東の方に目をやると、陸前高田浄化センターがあります。市内で使用された水道汚水がここで浄化され、きれいな水になって古河沼に放流されていました。建物がそっくり残っていました。

「二級河川 気仙川」の標識の根元が曲がっています。震災時からこのままなのか、曲がった部分を手直ししたものか不明です。
気仙川堤防から 3 気仙川堤防から 4
気仙川堤防から 5 堤防から東側の一本松を望む・・・

一本松の右端にある建物は、津波で破壊されたままになっている陸前高田ユースホステルです。その右には古河沼水位調整門が見えています。

気仙川堤防から 6
右側に小高い砂利山が見えています。その下に工事車両の通路があり、普段は立ち入りが出来ない場所です。

気になったのが左端の水路です。古河沼に流出する浄化センターの水ですが、流れることがないためか赤さび状態です。

砂利道を歩く

駐車スペースから往復で2km近くあります。一本松へは道なりに行けますが、私は堤防から古河沼沿いに歩いてみました。瓦礫等は撤去され、土台跡や鉄筋が出ていますが砂利と土砂混じりの場所でした。

念願の根元の部分まで行けますので、炎天下の砂利道を歩き、がっちりと周辺の様子を撮影しました。
艇庫跡から見た様子 1
艇庫跡から見た様子 2 被災前の地図を見ると、この場所は「県立高田松原野外活動センター艇庫」がありました。現在は瓦礫等が撤去され、堤防や桟橋跡しか見られません。
艇庫跡から見た様子 3 古河沼水辺まで進むと、対岸の一本松が見えてきます。左端は「しおさい橋」になり、見学する方の姿が見られます。
艇庫跡から見た様子 4

対岸からのアップ画像になります。松の幹は二段にシートが巻かれ、痛々しい姿になっていました。ここから見る一本松は、上の方の枝が完全に枯れています。

どの部分まで枝があったかは不明ですが、巻かれてあるシートの膨らみ等からかなり下まで枝があったように思えます。

下の画像は艇庫の板張りの部分から見た様子と、しおさい橋の全景です。橋の中央欄干には、・・国営メモリアル公園を高田松原へ・・と書かれた横断幕が張られています。

艇庫跡から見た様子 5 しおさい橋全景と一本松。
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