高田松原奇跡の一本松に戻る

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location:uchinome.jpトップ>ドキュメント三陸沿岸被災地 その2高田松原奇跡の一本松>その2

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しおさい橋・・・

古河沼には気仙川河口側に「しおさい橋」、そこから東側500m程の場所には「松原大橋」が架けられています。しおさい橋の松原側は丁字路になっており、右に進むと「陸前高田ユースホステル」、左に進むと「松原大橋」、松原入り口へと続いています。かなり以前のことですが、ここを通過した記憶がありますが水辺の道路の記憶しかありません。
しおさい橋 1 「県立高田松原野外活動センター艇庫」跡を見ながら、水際沿いにしおさい橋まで歩き、橋下から通路に出ました。

両側の欄干は変形している部分もありますが、流されてはいませんでした。正面に一本松とユースホステル跡、その右には水位調整門が見えてきました。
しおさい橋 2 しおさい橋と名前が刻まれた礎石ですが、壊れてはいませんが道路側に倒れかかっています。向こう側は松原大橋の方向になります。

橋の欄干東側には、「国営メモリアル公園を高田松原へ」と書かれた横断幕が張られています。

横断幕の左側端には、やなせたかしさんの書かれた復興のシンボル「一本松」が描かれていました。
しおさい橋 3 しおさい橋 4
しおさい橋 5

しおさい橋から松原方向には道路はなかったのですが、砕石道路が造られ立ち入り禁止でした。

正面の建物は「陸前高田ユースホステル」であり、大津波の直撃を受け無惨な姿になっていました。



しおさい橋から見た古河沼・・・

2011年6月8日のことですが、偶然のタイミングで道の駅高田松原から瓦礫の道を歩き、「松原大橋」たもとから流失した松原方面を撮影することが出来ました。その当時は大津波直後でもあり、松原大橋の上には流失してきた松の木がごろごろあり、橋の向こうへ続く道路は流されて跡形もなくなっていました。当時の様子はこちらからご覧下さい。

あれから一年二ヶ月後の今、大潮や波浪による冠水被害を防ぐため、残された防潮堤を補修する感じで復旧工事がされていました。

しおさい橋から見た古河沼 1 しおさい橋を渡ると道路が丁字路になります。

左に進むと、松原大橋や高田松原入り口へと続く道路があったのですが、この場所で寸断され流失していました。

巨大地震で1m近くも海岸線が沈んでいますので、海水が入り込み海の一部になっています。
しおさい橋から見た古河沼 2 寸断された道路端まで進み、そこから見た元の古河沼の様子です。

正面の建物が「キャピタルホテル1000」、その左が「道の駅高田松原」、左端が「」野外活動センター」になります。
しおさい橋から見た古河沼 3 元の松原防潮堤のレベルで造られた堤防です。

昨年訪れたときは、残った砂浜と倒れた松が散在していました。

昨年も見ていますが、数万本あった松で流されなかった一本の松がそのままありました。

もちろん枝や梢が全てもぎ取られ、ひょろひょろした幹だけの木です。

余り注目されないと思いますが、奇跡の一本松同様に貴重な遺産だと思います。
しおさい橋から見た古河沼 4 大津波前は水際の松林だと思われますが、もぎ取られた根っこの部分だけが残っています。
しおさい橋から見た古河沼 5 上の画面からさらに南側を見た様子です。

残された防潮堤の一部と、そのレベルで造られた岩石堤防になります。

正面の山の低い部分が小友方向になります。
しおさい橋から見た古河沼 6 拡大画面ですが、左奥の方向が小友地区で、右端の山は広田半島になります。
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