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location:uchinome.jpトップ>岩手の蘇民祭>一関市長徳寺・不動尊蘇民祭>2010岩手藤沢町長徳寺 ・不動尊蘇民祭>2>3 |
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不動明王堂御祈祷・・・ 由来伝承・・・ 明治27年12月4日付けで、油島から不動尊を当時の二十円で譲り受けた際に、祭もついてきた。この祭が現在の蘇民祭の起源であり、それ以後、地域の皆さんにより続けられてきています。 祭の内容について、次のように伝えられている。サイト(柴燈)の煙が東へ行く年は、冷害。西へ行く年は豊作である。ヤクネン(厄年)の人たちがつけるゴマ木は、付けた人の厄を託してサイトで焼くのである。テガイ(手木)は不動明王の宝剣をかたどったものであり、家に持ち帰りカナンヨケ(火災除け)とする。(※岩手の蘇民祭より) |
入り口のサイトギ、まだまだ燃え尽きません。燃え尽くして「厄落としが出来る」と言います。頭につけた鉢巻きに挟んだコマ木、これをサイトギの火にくべて焼けば厄落としになると言います。 蘇民祭とは言っても、他地区の蘇民祭とは違い荒々しさはなく穏やかな雰囲気の中で行われた保呂羽地区の祭り(祀り)でした。かつては蘇民袋の争奪戦が行われた言い、不動尊堂入り口には取り主の名札が掲げられてあります。 皆さんはその後、本堂で行われる落語の方がメインであったようです。サイトギの周りや不動明王堂へはそれほどの人出がなかったようにも思えました。私は本堂の寄席を聞かないで、初めて訪れた長徳寺後にしました。機会があったら来年また訪れて、じっくりと撮影したいものです。 |
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