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                 ・不動尊蘇民祭>3

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不動明王堂御祈祷・・・

由来伝承・・・

明治27年12月4日付けで、油島から不動尊を当時の二十円で譲り受けた際に、祭もついてきた。この祭が現在の蘇民祭の起源であり、それ以後、地域の皆さんにより続けられてきています。

祭の内容について、次のように伝えられている。サイト(柴燈)の煙が東へ行く年は、冷害。西へ行く年は豊作である。ヤクネン(厄年)の人たちがつけるゴマ木は、付けた人の厄を託してサイトで焼くのである。テガイ(手木)は不動明王の宝剣をかたどったものであり、家に持ち帰りカナンヨケ(火災除け)とする。(※岩手の蘇民祭より)
10:36頃・・・

行列はそのまま不動明王堂へ移動します。ここでは鬼子達が先頭になっていました。その後に、お札と蘇民袋が続きます。

お堂の中に何があるのかなと、半信半疑の表情の子ども達をとらえてみました。
お堂に入る行列の皆さん 1
お堂に入る行列の皆さん 2 お堂に入る行列の皆さん 3・・・重たそうな鬼面です。
お堂に入る行列の皆さん 4・・・お堂の入り口に松明が位置し迎えています。 お堂に入る行列の皆さん 5・・・お札と蘇民袋が続きます。
三宝の上に蘇民袋がしっかりと乗せられています。その後、係の方へと引き継がれますが、三宝をがっちりと掴んでいる男性の手の力強さが印象的でした。

一番最後に、読経をされる僧侶と護摩焚きをされる導師が入ってきます。
お堂に入る蘇民袋 1
お堂に入る蘇民袋 2・・・しっかりと引き継がれます。 最後は僧侶の皆さんが入ります。

10:40頃御祈祷・・・

中は暗くてよく見えなかったが、世話役の方から「皆さん中に入って下さい・・」と声がかかったので、私も中に入って見ました。

「撮影して良いですか」とお聞きしたら、「導師が祭事(?)を述べている時でなければ良いですよ」と許可を頂いた。僧侶全員による般若心経の後、護摩段に火が入り明るく燃え上がります。

護摩木は松木なので、炎と共に油煙がすごく上がります。護摩火に数珠をかざして導師が祈祷をする姿、神秘的な雰囲気と気分が伝わってきます。

御祈祷 1・・・導師が中央に位置し、両側に僧侶が座ります。
御祈祷 2・・・護摩木がくべられ燃え上がります 御祈祷 3
御祈祷 4・・・護摩木の火の灯りだけでの撮影です。 御祈祷 5・・・指先で数珠玉を動かして祈祷します。見ていると厳粛な気持ちになりました。
祈祷が終わる頃、「身につけている物何でも良いのでお浄めをして下さい・・」と声がかかりました。「特に財布が良いのですよ・・」と世話人が呼びかけますが、さすがに財布を出した方は居ません。

皆さんはいろいろな物を出して浄めてもらっていました。終わり頃になって、私も持っていた車のキーを御願いして浄めてもらいました。
御祈祷 6・・・煙が凄いのですが供物が浄められています。
御祈祷 7・・・護摩餅を浄めます。 御祈祷 8・・・身につけているものを浄めてもらいます。


御祈祷が終わって出てきた皆さん。 11:05頃・・・

御祈祷が終わり、皆さんが出てきました。誰も居なくなったお堂の中では、護摩段で祈祷された餅が切られています。思わずカメラを向けたら、「衛生管理が良くないと言われそうですね・・」と笑いながら薄く切っていました。

薄く切られた餅は紙袋に入れられ、御祈祷終了後、蘇民袋に入れられたコマ木と一緒に参拝者に配られます。
護摩餅を薄く切っています。 大きな護摩餅と、紙袋、薄く切った餅が少しですが見えています。
不動明王堂から見た燃えるサイトギ、燃え尽きるまで非守りをします。 不像明王堂から出るとき、 「役員の方はここから下に行って、いかに早く焼いてしまうか、御願いします。自分の難を逃すようにあの火で焼いて下さい」・・と指示がありました。

燃えるサイトギを何気なく見ていたら、若い女性が火にコマ木を入れました。思わず火の中のコマ木を撮影したら、「安産祈願」と書かれてありました。他人の願いをのぞき見するのは不謹慎だと思いつつ、「無事に丈夫な子どもを出産して欲しい・・」と思った私です。

この方はたった一人でしたが、赤い襷をしていました。多分、厄年の方として参加されたと思います。
厄年の女性がコマ木をくべています。 コマ木が燃え尽きて願いが叶うと言います。安産祈願と書かれてありました。のぞき見して御免なさい。


入り口のサイトギ、まだまだ燃え尽きません。燃え尽くして「厄落としが出来る」と言います。頭につけた鉢巻きに挟んだコマ木、これをサイトギの火にくべて焼けば厄落としになると言います。

蘇民祭とは言っても、他地区の蘇民祭とは違い荒々しさはなく穏やかな雰囲気の中で行われた保呂羽地区の祭り(祀り)でした。かつては蘇民袋の争奪戦が行われた言い、不動尊堂入り口には取り主の名札が掲げられてあります。

皆さんはその後、本堂で行われる落語の方がメインであったようです。サイトギの周りや不動明王堂へはそれほどの人出がなかったようにも思えました。私は本堂の寄席を聞かないで、初めて訪れた長徳寺後にしました。機会があったら来年また訪れて、じっくりと撮影したいものです。

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