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完成した三本の噴水・・・

円筒分水工北側の壁面にノズルが三本設置され、勢いよく水が噴き上げられます。24mの高さは円筒分水の内側直径にちなみ、三本の意味は中央が「組合員」、左側が「胆沢ダム」、右側が「胆沢土改区」を表していると言います。


私が撮影した時は晴れてはいましたがあいにくの高曇りで、噴水の方向に雲がかかっていました。吹き上げた水柱と雲の色が同じであり、はっきりと水柱が区別できませんでした。後日になりますが、くっきりとした青空の時を見て一走りします。青空の中の白い水柱、素晴らしい光景になると思います。

噴水は10月まで行う予定で、時間は午前10時〜午後4時までとのことです。
最大水量の状態で溢れ出し下流に流れ出す様子 円筒分水工と噴水

最大水量の状態で溢れ出し下流に流れ出す様子は壮観であり、多くの方が見学に来られ写真撮影をしています。

今年から三本の噴水が設置され、今までになかった光景を見せてくれます。

噴水の高さは24mあり、あふれ出す円筒分水工にちなんだものだと言います。
円筒部分と三本の噴水 三本の噴水・・・

24mの高さに吹き上げる噴水、風向きにより北側の通路付近がしぶきで水浸しになります。

私が見ていた時、丁度通路上に大量の水が落ちていました。夏場ならば良いのですが、落下する水量によりびしょ濡れになります。
円筒分水工平面図と断面図 円筒分水工・・・

現場にある説明図から平面図と断面図を転記しました。

断面図を見ると、内面の直径が24m、外面の直径が31.5mあります。

ダムから引かれた水路の放水で、流れ込んだ水は分水工の下にサイフォンで吹き上げられ一気に溢れ出ます。
命水悠久 報恩謝徳と題された一番新しい記念碑です。 記念碑・・・


命水悠久 報恩謝徳と題された一番新しい記念碑です。

碑文は最後の欄に転記してあります。

徳水園広場には、今までの治水事業に関わる石碑等が数多く置かれています。このことからも、農作業・米作りに欠かせない水資源を求めて先人達が苦労してきたか、今に生きる私たちが忘れてはならないことだと思われます。碑文を読みながら当時の様子に思いをはせると本当にそう思えてきます。一番新しい石碑の碑文を紹介いたします。


                 「命水悠久 報恩謝徳」

昭和四十二年石淵ダム嵩上げ運動に始まったダム建設への農民の渇望は、その後、水需要の増加を踏まえ昭和六十三年胆沢ダム建設と名称を改め、四十六年の歳月をかけ平成二十五年十一月十六日、万人歓喜のもとに竣工のときを向けました。これにより、胆沢平野土地改良区が約半世紀に亘り使い続けてきた「恒常的水不足」という言葉にも終止符を打つことが出来ました。

このことは同時に、胆沢平野に暮らす全ての人々に、絶えることのない命の水をもたらし、明日への限りない大きな夢と希望を与えてくれるものです。そこには、ダム建設に深い理解と寛容を示され、二度にわたり墳墓の地を後にされた方々を含めた、水没移転者の尊い献身と共に、胆沢ダムの建設推進に携われた多くの方々の粉骨砕身の思いが集積されております。

私どもは、日々の生活がそうした方々の涙と汗のもとに成り立っていることを未来永劫忘れまいと固く心に誓い、ここに「命悠久・報恩謝徳」を記し、後世に伝えるものである。

平成二十六年四月十四日                    碑文 胆沢平野土地改良区理事長 及 川 正 和

                                                       (※現地の石碑より)

                                                                                                            (2014.05.05 作成)
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