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あまりにも有名な金色堂です。
中尊寺・・・

中尊寺は、平泉町にある天台宗東北大本山である。国宝の金色堂、重要文化財の経蔵などを含み、境内は国の特別史跡に指定されている。

寺伝によれば開山は円仁で、中尊寺の名は清和天皇によって与えられたものという。ただし、再興したのは藤原清衡で、前九年の役、後三年の役で相次いで家族を亡くしたこともあり、敵味方を区別せずに戦没者の魂を浄土へ導くことと、東北に優れた仏教文化を根付かせることを目指したものだった。

清衡は12世紀初頭に多宝堂(最初院)を建立したのを皮切りに、多くの大伽藍群を建立した。二階大堂という巨大な堂宇は後に鎌倉の永福寺のモデルにもなったが、それらの建造物群は1337年の火災であらかた焼失した。金色堂は当時の姿のものが残っているが、本堂は1909年に再建されたものである。

(※ウイキペディアより)


今まで何回となく訪れている中尊寺です。世界遺産になったからと言って、私にとって特別改まった場所ではありません。こんな表記をすると叱られそうですが実感なのです。今回は拝観料を払わないでの訪問ですから、金色堂(内部撮影は不可)や経蔵、旧覆堂は撮影していません。また、重要文化財指定の白山神社能舞台も撮影禁止になっており、このページで紹介することが出来ません。舞台の前に色々な規制事項が張られてあり、社務所に出向いて掲載許可を頂くことをしませんでした。

平成24年になった一月三日、元朝参りをかねて訪れたのですが駐車スペースはどこも満車で中尊寺には入られませんでした。仕方なくこの時は、お隣毛越寺を参拝し散策しながら撮影してきました。一月十八日に再度訪れた時の記録になります。



月見坂入り口・・・

ここから中尊寺本堂までの坂道(参道)が続きます。月見坂となったのはいつ頃からなのか分かりません。

月見坂の両側にそびえ立つ杉の古木は、樹齢300年を超す杉の巨木です。この杉は江戸時代に、伊達藩主により植えられたと言います。古木の杉並木、坂道に沿って約800mも続きます。
月見坂 1・・・ここが入り口になります。
月見坂 2・・・入り口右にあるお地蔵さん。 入り口に座っているお地蔵さん、赤い帽子と前掛けが似合います。

ここから一気に上り坂になります。この道路はコンクリートやアスファルト舗装ではなく、自然の状態のままの道路になります。

両側にそそり立つ杉の巨木、それほど太くはないのですが高さがありその下を黙々と歩きます。
月見坂 3・・・いよいよここから登り坂になります。 月見坂 4
月見坂 5・・・木陰になるので雪が積もっています。 月見坂 6
月見坂 7・・・古木の朽ち果てた株、歴史を感じさせある場面です。 杉並木の間には、以前の杉古木の切り株があちこちにあります。朽ち果てた株の中には、実生で発芽した杉の苗木が育っている場所も見られます。

次の画像を見るとお分かりでしょうが、道路の片側にはロールが張られ掴まって歩けるようになっています。その部分の土の色が違いますので区別できます。
月見坂 8 月見坂 9

総門跡・・・

急な登り坂が終わる場所に総門跡の標柱があります。ここを過ぎると比較的平らな坂道になります。
月見坂 10・・・総門跡の石柱が見えています。
月見坂 11・・・登り口からここまで240mあります。 総門跡の傍らの看板です。「下り坂にご注意下さい(昇口まで240m)」とありました。ここまでの坂は比較的急坂であり、雪が積もっていますので登るときよりも下りが危険です。

うっかり足を滑らすとずるりと転倒します。片側にはロープがありますが、それ以外は滑らないように砂がまかれています。
月見坂 12・・・懐かしい滑り止めの縄。

懐かしい滑り止めです。これを見て懐かしいと思ったのは私年代の方々です。

長靴のイラストが描かれてあり、先端部に縄が巻かれてあります。「縄でスベリ止め! はきものに結んでネ!」

下の箱のビニール袋には縄が入れられてあります。

月見坂 13・・・縄が丸められて入っています。 どれほどの方が利用されたのかは分かりませんが、私の子どもの頃に滑り止めとして巻いたことを思い出し、思わず嬉しくなりました。

スパイクとは違いますが、凍結しない柔らかい雪ではけっこう効果があったことを思い出しました。

辨慶堂・・・

月見坂二番目のお堂は辨慶堂です。辨慶は義経の忠実な家来であり、義経が自刃する際に軍勢を一歩も高舘に入れないように死守したことでも有名です。

月見坂を登ると左側にあるお堂になります。それほどの雪ではないのですが、通路は雪で覆われていました。
辨慶堂 1・・・入り口が左側にあります。
辨慶堂 2・・・木材が置かれているように見えますが、鳥居の石材でした。 辨慶堂 3
辨慶堂 4・・・扁額の文字が分かります。

この堂は、通称辨慶堂という。文政九年(1826)の再建である。藤原時代。五方鎮守のため火伏せの神として、本尊勝軍地蔵菩薩を杞愛宕宮と称した傍らに義経公と辨慶の木像を安置す。

辨慶像は文治五年(1189)四月、高館落城と共に主君のため最後まで奮戦し、衣川中の瀬に立往生悲憤の姿なり。

更に宝物を陳列国宝の磬(けい)、及び安宅の関勧進帳に義経主従が背負った笈(おい)がある代表的鎌倉彫である。    (※現場の案内より)

辨慶堂 5 辨慶堂 6・・・彫り物の拡大。
東物見からの展望。

東物見・・・

辨慶堂下の物見場所です。ここからの展望は素晴らしく、眼下に北上川、平泉バイパス、JR東北線、旧R4が見えています。

中尊寺本堂までは、まだしばらく歩かなくてはなりません。ほぼ平らな道路ですから、皆さんは雪道の中央付近を歩いています。茶色に見えるのは撒かれた砂です。

月見坂 14 月見坂 15
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