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        世界遺産 平泉観てある記


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800年前の金色堂が納められている金色堂。見えている建物はコンクリートですが、内部には目を奪うばかりの金色堂が納められています。

私にとっての平泉とは、中学校時代の遠足で出かけたのが最初になります。当時のことはほとんど覚えてはいませんが、月見坂をあえぎながら歩いたことを思い出します。坂の脇を見ると延々と続く杉並木の古木ですが、八百年前の坂道を登っている・・・昔も同じだったろうなと思ったことがかろうじて記憶にあります。

二十代前半から何度となく訪れ見学したり撮影していた場所になります。そのためか、あまりにも身近にある平泉でもあり、風景の一部として観ていた史跡であったとも言えます。ウチノメサイトを立ち上げてからは、中尊寺よりも毛越寺を訪れることが多く、曲水の宴や本堂脇の舞台で舞われる延年の舞にも何度か訪れています。

世界遺産登録決定以前の暫定指定の時、初めて訪れたのが水を張り往時の池を再現した無量光院跡でした。残念ですが、伝説としての金鶏山は小さい頃から知っては居ましたが、未だ登ったこともありません。観自在王院跡も同様で通過するのみでした。

今、一番の関心事は、金鶏山頂に沈む夕日の撮影です。頂いた解説によりますと、無量光院本堂跡と中島の延長に金鶏山頂上が位置し、四月中旬と八月末には本堂の正面から金鶏山の頂上に夕日が沈む光景を見ることが出来るとあります。四月十四日、偶然でしたがきれいな夕日を撮影することが出来ました。


世界遺産とは・・・


未来の時代に引き継いでいくべき人類共通の「たからもの」。1972年、ユネスコ総会で「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」が採択されました。「世界遺産」とは、この条約に基づき、全世界の人々の共有財産として国際的に保護・保全していくことが義務づけられている「遺跡」や「建造物」、「自然」などのことです。

世界遺産は、「自然遺産・・・学術上、鑑賞上などの見地から普遍的価値のある地形や生物、景観を含む地域」、「文化遺産・・・すぐれた普遍的価値を持つ工作物、歴史的建築物、遺跡、文化的景観など」、「複合遺産・・・自然遺産と文化遺産の両方の価値を持つもの」の三つに分類され、2011年7月現在で936件が登録されています。

今回登録された平泉は、国内で12番目、東北では初となる「文化遺産」です。対象となったのは、中尊寺や毛越寺をはじめとする仏教寺院や浄土庭園など、平安時代に奥州藤原氏が築いた、華麗な黄金文化の遺産群。日本固有の自然崇拝思想などと融合した仏教、特に「浄土思想」に基づき、仏国土(浄土)を現世に表現するためにつくられた独特の事例であることなどが評価されました。


(※上記の内容は岩手県 県南広域振興局 経営企画部 世界遺産推進課発行の「世界遺産平泉」参照です)


「中尊寺」・・・

奥州藤原氏初代清衡が造営した。藤原氏滅亡後度重なる火災によって、多くの堂塔が消失したなか金色堂だけが創建当初のまま残り、その堂内には奥州藤原氏四代のご遺体が安置されている。

松尾芭蕉が、「おくのほそ道」で「五月雨の 降残してや光堂」と詠んだことでも有名。

讃衡蔵(寺宝展示施設)には、国宝や重要文化財など、多数の仏教美術工芸品が収蔵されている。境内全域が特別史跡の指定を受けている。


「毛越寺」・・・

奥州藤原氏二代基衡、三代秀衡が造営した。当時の伽藍は中尊寺をしのぐ規模で「吾が朝無双」と称された。当時の堂宇は全て消失してしまったが、堂宇や庭園の遺跡が良好な状態で残された。

境内に広がる大泉が池は、修復整備され平安時代の浄土庭園の素晴らしさを今に伝えている。池に水を引き入れる「遣水」も当時のままで、毎年五月には「曲水の宴」が催されるほか、正月二十日に境内常行堂で行われる二十日夜祭では、中世芸能「毛越寺の延年」が古式ゆかしく執り行われている。

境内が特別史跡と特別名勝の二重指定を受けている。


「観自在王院跡」・・・

観自在王院は、二代基衡の妻が建立した寺院。二棟の阿弥陀堂が池に臨んで建てられていた。建物は皆失われてしまったが、浄土庭園の「舞鶴池」を中心に遺跡が修復されており、境内全体が史跡公園として開放されている。

全域が特別史跡・名勝指定。


「無量光院跡」・・・

無量光院は三大秀衡が建立した寺院。広大な境内内の中心に池があり、その中島に本堂となる阿弥陀堂が建てられていた。建物は全て失われている。現在は発掘調査が進められており、将来は池を中心に修復整備される予定である。

全域が特別史跡指定。


「金鶏山」・・・

奥州藤原氏が山頂で経塚営んだ信仰の山。ふもとは、金峯山蔵王権現堂の跡と伝えられる「花立廃寺跡」や、「義経妻子の墓」が祀られる先手堂がある。金鶏や埋蔵金の伝説に彩られた山でもある。

全域が史跡指定。

(※平泉ぐるーりマップ、平泉「魅」どころ・・・より)



これからのこと・・・

昨年の世界遺産指定後、平泉を訪れる方々が激増していると言います。そのこと自体は、受け入れる平泉町や観光協会、寺院等にとって嬉しいことでもあります。岩手・東北の平泉から、日本の平泉、そして世界の平泉になりました。反面、訪れた皆さんが満足できる受け入れ態勢はこれからだと思われます。

間もなく五月の藤原祭りが始まりますが、訪れた皆さんが不満のない様な接遇の場と心が求められる感じがします。さしあたって駐車場の問題、休憩所や食事等の施設、宿泊施設の充実等々があげられます。地元に住む私にとって、ふらりと気の向くままには訪れることが出来なくなりました。早い時間帯やウイークデイがポイントになり、間違っても観光客の皆さんと同じ時間帯での行動は出来なくなることです。


今まで訪れた平泉の様子をウチノメサイトで紹介していますが、可能な限り「世界遺産平泉」としての目で観て紹介していきたいと思います。ここであえて観てある記としたのは、「世界遺産平泉」の説明だけではなく、撮影しながら気のついたことや感じ取ったことを紹介したいなと言う想いからです。

平成26年5月4日、しばらくぶりに無量光院跡を訪れてきました。水を張って池の様子を再現し、正面に見える金鶏山を目の当たりにすると往時の姿が偲ばれるようでした。世界遺産に指定されてから発掘調査等で現地を整備し、将来的には常時水を張るものと思われます。


境内が雪に覆われた中尊寺本堂です。 雪の中尊寺

2012年1月18日に訪れた雪に覆われた中尊寺です。今までこの時期に来たことはなく、二月の節分祭に訪れるのみでした。

雪降りの多い一月でしたが、晴れ間を見ての月見坂への挑戦です。

けっこう人出もあり、賑わっていました。言葉を聞いていると、中国の方だと思いました。
一月三日の大泉が池、完全に凍っていました。 雪の毛越寺

一月三日の初詣の時の様子です。平地の雪はそれほどではないのですが、大泉が池は完全に凍っていました。

池の中には、出島石組みと池中立石が見えています。

対岸に見えるお堂は常行堂であり、正月二十日にはここで祭礼が行われます。
四月十四日の夕日、うまい具合に撮影できました。

金鶏山の夕日

一年に二回、金鶏山頂上と無量光院本堂跡を結ぶ正面に夕日が沈みます。

案内板には四月中旬と八月下旬と書かれています。お空の様子を見て4月14日に訪れてきました。

説明によると、建物の中心線は西の金鶏山と結ばれており、その稜線上に沈む夕日に極楽浄土をイメージした、浄土庭園の最高傑作と言われています。

金鶏山山頂にある祠です。麓の千手院の御札が納められています。 春の金鶏山

麓から220m先にある山頂に川原の玉石が1.5m程に積まれ、ここにはコンクリート製ですが祠がありました。

ここまで一気に上り坂ですので、息が切れて大変でした。

頂上からの眺めは良くなく、今の時期ですから樹幹越しに平泉の街並みが見えています。

しかし、間もなく木の葉が茂ると何も見えなくなるはずです。せっかくの展望地、せめて無量光院跡だけでも見えてほしいものです。
池の周辺に土盛りをし、池の形を再現していました。 無量光院跡

無量光院跡の空き地にに水を張り、往事の様子を偲ばせる試みが今年も行われました。

水を張った往事の池の再現に関心があった私は、水抜きのぎりぎりにあたる5月4日に現地を訪れてきました。

水を張って往事の様子を再現する試みは、平成10年頃から行われているようです。

今回訪れて気がついたことは、池の東側から南側、西側にかけて土盛りをし、池の形態を再現していたことでした。
  観自在王院跡