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      世界遺産平泉 雪景色の毛越寺

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一番の見所になる出島石組と池中立石です。
毛越寺・・・

毛越寺は、近年になって復興された岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の寺院。開山は慈覚大師円仁。現在の本尊は薬師如来、脇侍は日光菩薩・月光菩薩である。

「平泉 - 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の一つとして世界文化遺産に登録されており、国の特別史跡、特別名勝に指定されている。平泉中尊寺、松島瑞巌寺、山形立石寺と共に「四寺廻廊」という巡礼コースを構成している。


歴史・・・

嘉祥3年(850)、中尊寺と同年に円仁が創建。その後、大火で焼失して荒廃したが、奥州藤原氏第2代藤原基衡夫妻および、子の第3代藤原秀衡が壮大な伽藍を建立した。中世の歴史書『吾妻鏡』によれば、「堂塔四十余宇、禅房五百余宇」があり、円隆寺と号せられる金堂・講堂・常行堂・二階惣門・鐘楼・経蔵があり、嘉祥寺その他の堂宇もあって、当時は中尊寺をしのぐ規模だったという。

鎌倉時代には鎌倉幕府にも保護されたが、嘉禄2年(1226)に火災に遭い、戦国時代の天正元年(1573)には兵火に遭って、長年の間、土壇と礎石を残すだけとなっていた。江戸時代は仙台藩領内となり、1636年(寛永13年)の伊達政宗の死去に際して、当時の本尊の釈迦如来三尊が政宗の霊廟「瑞鳳殿」に隣接して政宗の菩提寺として創建された瑞鳳寺(宮城県仙台市)に遷された。寛文年間(1661年〜1672年) には本寺とその周辺は水田化された。しかし、伊達藩により経済的援助や保護が行われた。

明治の後半には新しい本堂や庫裏を南大門の外側に建て、大正10年(1921)には伊達一関藩・一関城の大手門を移し、山門とした。大正11年(1922)10月12日、「毛越寺境内 附 鎮守社跡」として史跡に指定された。平成元年(1989)に平安様式に則って本堂が再建され、現在に至っている。(※ウイキペディアより)


訪れたのは一月三日の初詣の時でした。今まで厳冬期に訪れるのは、常行堂で行われる二十日夜祭りの撮影に限られていました。午後八時頃の真っ暗な大泉が池、厳冬期ですから池はほぼ完全に凍結しています。凍結すると大泉が池の拡がり等は分からなくなります。かろうじて東端にある州浜の形や、出島石組と池中立石が分かるだけです。

私としては深緑の頃や秋の紅葉の時期が好きな風景になります。間もなく五月になると言うのに、一月の画像は季節感がありませんがご容赦下さい・・。


毛越寺山門遠望 毛越寺山門・・・


平泉駅から来ると、一番先に目に入る毛越寺の標柱です。

駐車場は、ここから左側に進んだところにある町営駐車場を利用できます。
毛越寺山門 山門を正面に見たところです。拝観券は右側の入り口で購入します。

中尊寺に比べてそれほど人出が多くなく、ゆっくりと見て歩くことが出来ます。
産道から本堂を望む。 入り口から提灯が吊されていますが、一月二十日の祭りのための献灯提灯であり、平泉駅から常行堂まで吊されています。

元朝参りに訪れた皆さんは、御札等の入った袋を手に持っています。

本堂までの参道は、雪がありませんでした。
本堂 香炉からの煙が立ちこめています。正面の本堂は、毛越寺一山十八坊の本坊になります。

中には本尊の薬師如来(平安時代作)脇士日光・月光両菩薩が安置されています。

平成元年(1989)に平安様式に則って本堂が再建されたと言います。
(※ウイキペディアより)

大泉が池・・・

東西180m南北90m程の広さで、池の中央に中島があります。塔山を背景にした典型的な浄土庭園で、池は南大門から中島、さらに円隆寺へと続く二つの橋で東西に二分される。かつてこの池に龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)のふねをうかべ、管弦の楽を奏したといいます。

(※頂いた毛越寺ガイド資料より)

南大門跡の礎石(土台石) 南大門跡・・・

本堂の北側には、南大門跡があったとされる大きな礎石が十二個残されています。ここに壮麗な門があったのですから、礎石を見ていると古の風景に夢がはせます。

ここから池の畔に沿って西側に進み一周しました。最初に目に入るのが築山です。東側にある出島と対応の位置にあり、海岸のいわやまの景観を模したと言われます。
築山 築山側から南大門跡を見る。
築山から大泉が池を見る。 築山の場所から池の東側を見た様子。一面の氷ですからはっきりとはしません。

次の画像は池の西側端になります。氷と雪に覆われていますが、南向き池の境に敷かれた玉石の熱で雪が溶け、復元された姿が浮かび上がります。
大泉が池西側 1 大泉が池西側 2
大泉が池東側 池の東端になり、常行堂前の池の様子です。ここも南向きですから、ほぼ雪が溶け、水辺近くの氷も溶けていました。

雪の州浜 雪の州浜・・・

やわらかい曲線を描いたような砂州と入江は、海岸線の砂浜の優雅な美しさを表現しており、池の西南隅築山に対照させた景観になります。

中央右端まで伸びていますので、雪のない様子が連想できると思います。

出島石組と池中立石 1 出島石組と池中立石、その延長に中島が見えています。
出島石組と池中立石 2 出島石組と池中立石・・・

荒磯の趣を表した出島、その先端の飛島には約2.5mの立石を中心とする石組みがあり、庭の景観中もっとも印象的な場面になります。

いつ見ても見とれてしまう場所です。背景の中島、対岸は経楼跡になります。


経楼跡・・・、経文を納めていた建物跡。
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