世界遺産・平泉見て歩きに戻る


        世界遺産平泉 春の金鶏山

ウチノメ屋敷 レンズの目 自然の表情 暮らしの表情 ウチノメアーカイブス
岩手の鍾乳洞 岩手の蘇民祭 ほっづぎある記 心のオアシス
ドキュメント  

location:uchinome.jpトップ>心のオアシス神社仏閣アラカルト世界遺産・平泉見て歩き>春の金鶏山

 サイトマップ


金鶏山入り口と先手堂。
金鶏山に登る・・・

金鶏山の夕日を撮影した4月14日の翌日、調子づいた私は金鶏山の様子を知りたくなり出かけてきました。夕日撮影の時、「登り口の標識があるよ・・」と地元の女性からお聞きしたのですが見つけられません。以前お聞きしていた入り口近くにある武蔵坊の駐車場でお聞きしたら、すぐそこで車も置けますよ・・・とのこと。

しかし、いくら探しても看板が見つからないのです。あちこち動いてやっとの事で見つけましたが、入り口看板は毛越寺方向から来れば左側にあり見つかるのですが、中尊寺側から来れば見つけられないのです。理由は簡単なことで、片側だけの看板で見つからないわけです。どちらから移動して来ても分かるように、両面看板に直して欲しいものです。

金鶏山入り口標識 登山口・千手堂・・・

看板から少し入った場所に先手堂入り口があり、金鶏山への看板と狭いながらも車を置く場所があります。武蔵坊の方からは、道路に置いても良いですよと言われていたことを思い出しました。

看板には頂上まで220mと書かれてあり、入り口にはフェンスの回された池が二ヵ所あります。そこから少し進んだところに先手堂(せんじゅどう)があります。

先手堂 1 先手堂 2
先手堂 3 先手堂・・・

お堂左側には古い石塔が二基立っていなすが、五輪塔なのかも知れません。また、先手堂の後ろにも小さな祠がありましたが、詳細は分かりませんでした。

先手堂内に安置している諸仏・・・
・御本尊先手観音安置
・辨財天尊(十六童子)安置
・藤原三将軍の御位牌
・藤原秀衡公木像
・愛染明王像
・不動明王像
・道祖神    (※入り口看板より)

先手堂 4・・・扁額 古い墓石か五輪塔?
先手堂裏にある祠、新しいように思います。 先手堂後ろにある祠、中まで見ませんので詳細は不明です。

源義経公妻子の墓・・・

源頼朝の威圧に依って藤原泰衡が高舘に義経公を襲った。義経公は北の方と幼児を殺害し、自害したと伝えられる。時は平安時代の文治五年(1189)閏四月三十日、三十歳で最期を遂げられた。

このお墓は、高舘で悲しくも露と消えた妻子の墓と伝えられているが、元は先手院境内で、ここから約三百米ほどの西北金鶏山の山麓いにあったが、ここに墓石を遷し供養を怠らない。(※墓所入り口の看板より)



義経公妻子の墓の案内板。
義経公妻子の墓 1 先手堂の左後ろに位置する小さな墓所です。義経妻子の墓があることを知りませんでした。
義経公妻子の墓 2 正面からじっくりと眺めると、墓は四段重ねの墓石で上二段が丸い造りです。表面には文字らしき模様が見られます。文字のかすれ具合等から、時代の重みを感じます。

一番上の造りが左右で違いますので、意味がありそうですが詳細は不明です。

墓所の右側には春先でもあり、可憐なカタクリの花が咲いており心休まる場所です。
カタクリの花 1 カタクリの花 2

登山道・・・

登山道と言うよりも散歩道になります。一気に山頂を目指しましたが、道路は舗装されていて足に優しい柔らかな感じです(木質チップのかためたもの)。

一気に登ったせいか、息が切れてきます。頂上が見えたところに、傾斜のきつい木組みの階段が続きます。

登山道 1
登山道 2 登山道 3
登山道 4 登山道 5

金鶏山山頂にて・・・

初めて登った金鶏山、ふと伝説のことを思い出しました。藤原秀衡が大勢の人足を動員して一晩で造り上げたという山、当時の人足を川原から並べて土を運んで盛り上げたという事です。伝説は伝説として高さが麓から60mほどあり、裾野まで入れると小高い山の一夜造りはとうてい無理だなあと思います。

しかし、「山頂にある玉石の山ならば可能だよなあ・・・」、そんなことを想いながら祠の周りを歩いてみました。ネット資料によると、山頂に埋められてある黄金の鶏を盗掘しようとして、この地にあった経塚を発見したと言います。盗掘者には皮肉なことだが、怪我の功名とでも言えるのでしょう。

私が訪れた時期が春先なので、木々の芽生えはまだありません。やがて雑木林が緑の葉で覆われると、本当に何も見えなくなります。この記事を書くにあたりネットで金鶏山を検索しましたが、何と、・・これで世界遺産ですか・・、そんな書き込み記事を見てがっかりしました。

世界遺産である中尊寺や毛越寺、無量光院跡、観自在王院跡に魅了されて訪れた方々にとって、金鶏山の存在はがっかりしたものになりそうです。せめて山頂に案内板などがあればあと思います。世界遺産に指定されると現状変更する工事などは出来ないと思いますが、平泉文化の基点となる金鶏山の存在を明確に知らせることが肝要だと思うからです。

山頂にて・・・

頂上はかなり広い平地になっていて、三角点とコンクリート製の祠があります。祠のある場所は元来の山地ではなく、川原から運んだと思われる玉石が目線の高さ(1.5m)に積み上がれれています。

玉石の上にコンクリート製の祠が建立されています。祠の中には千手堂の御札が納められていました。

祠の周りを歩いてみました。
山頂の祠 1
山頂の祠 2 山頂の祠 3
束稲山大文字焼きの場所 それにしても山頂はさびしい場所でした。三角点と祠があるのみ、案内板はおろか何もありません。疲れたので休むためのベンチも無いので、何よりの休憩場所は登ってくる木組みの階段でした。

階段から東の方を見ると、木立の間から束稲山の大文字焼きの場所が見えます。
北側の方向

座りながら周囲を見渡しましたが、周囲の景色が見えないのです。かろうじて木の枝の間から見える東側の束稲山と大文字焼きの場所、南東側に見える無量光院跡の駐車場が分かるのみです。

現地を知っている私ですから分かるものの、世界遺産の言葉に魅了されて登って来た方には見通しのない山頂になります。

無量光院跡 1 無量光院跡 2・・・正面に駐車場があり、案内看板が見えています。
                     ページの最初に戻る →