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    世界遺産平泉 往事を偲ばす無量光院跡

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往事を偲ばす無量光院跡・・・

無量光院跡の空き地にに水を張り、往事の様子を偲ばせる試みが今年も行われました。水を張った往事の池の再現に関心があった私は、水抜きのぎりぎりにあたる5月4日に現地を訪れてきました。水を張って往事の様子を再現する試みは、平成10年頃から行われているようです。

撮影データから調べてみると、2010年4月11日、2011年7月2日、9月15日の三回訪れて水を張った池を撮影しています。東側の広場から田んぼ道が中島まで続き、少しぬかっていましたが歩いて進めました。今回訪れて気がついたことは、池の東側にあった採石敷きの広場と池の境界に土盛りをし堤防のようになっていたことです。

この土盛りをした部分は南側、西側にかけてきれいに仕上がり池の縁を表していました。今までは自由に駐車できた池の前の広場は車を置けないような雰囲気であり、近くの道路脇に数台置ける駐車スペースがありました。

今回は、正面の広場から南側を回り西側のJR東北線境界まで出て、JR東北線境界まで出て、西側の本堂の跡を眺め、北側の通路からぐるりと回るコースを歩きました。それぞれの方向から見た様子を紹介いたします。

トップの画像は、無量光院跡を撮影した時の定番とも言えるもので、左側が中島の跡、その奥の中央右寄りの高い場所に見える金鶏山の配置です。天気が良かったのですが、かなり強い風が吹いており水鏡の状態にはなりません。案内看板には最高の水鏡の状態と青空に浮かぶ白い雲が写しこまれていました。

東側広場からの眺め 1 東側からの眺め・・・

案内看板と中島跡、バックの金鶏山を配置してみました。

案内看板周囲も変わっています。中央部分から右寄りの池の縁には土嚢が積まれ、この部分は以前と同じだなと思いました。

左下にコンクリートの水路部分が少し見えますが、多分ですが、水を抜く時はここから排水すると思いました。
東側広場からの眺め 2 以前とは違い、広場の前に土盛りをした堤防が造られていました。
東側広場からの眺め 3 無量光院跡を撮影した時の定番とも言えるもので、左側が中島の跡、その奥の中央右寄りの高い場所に見える金鶏山の配置です。

この画像の上下を切り詰めトップのロゴ画像にしました。

下の右画像は、池の波打ち際の状態と土嚢のない左側の岸辺の様子になります。

右画像は、広場前から南側、さらに西側に延びている土盛り部分の様子です。
東側広場からの眺め 4・・・池の波打ち際の状態と土嚢のない左側の岸辺の様子。 東側広場からの眺め 5・・・広場前から南側、さらに西側に延びている土盛り部分の様子。
案内看板 1 特別史跡無量光院跡・・・

無量光院は三代藤原秀衡が建立しました。モデルは宇治の平等院**堂。**堂は、「極楽を疑うならば宇治のお寺をお参りしなさい」と子供にまで唄われました。

無量光院もまた仮想の極楽浄土です。両寺院とも本尊は阿弥陀如来像。西方に極楽あり、その主は阿弥陀如来なのです。

春秋彼岸の頃、無量光院の正面に立つと、西方にある金鶏山の真上に日が沈みます。入日の中に阿弥陀如来が浮かび上がる様子は、まさしく秀衡が思い描いたこの世の極楽浄土だったのです。
案内看板 2・・・ただいま調査中の拡大部分。

ただいま調査中・・・

現在、東島周辺と池北側では整備に向けた再調査を行っています。

調査区内は立ち入り出来ませんが、通り抜け出来ますので、奥の本堂跡までご覧下さい。

案内看板 3・・・迂回路のお知らせ。

迂回路のお知らせ・・・

現在、東島の周辺で史跡整備工事を行っています。その関係で、東島へ向かう通路を通行止めとさせて頂いております。島へは右側地図にお示ししました迂回路から入ることができますので、そちらをご利用ください。

来訪者の方にはご迷惑をおかけいたしますが、ご理解をお願いいたします。

10:51上りの客車 10:51上りの客車です。以前のことですが、SLの通過を線路際で撮影したことを思い出しました。

南側からの眺め 1 南側からの眺め・・・

東側から南側に向けて進みます。以前は畑があり遠慮しがちに歩いたと思います。

南側の岸辺は今まで何回となく歩いていますが、東側に比べて高い斜面になっていました。南側には小高い土盛り部分はなく、そのままならした状態になっています。

下の二枚の画像は、南に進みながら池の中心部を撮影したものです。中島跡の配置が変化してきます。
南側からの眺め 2 南側からの眺め 3
南側からの眺め 4 中島跡への通路は立ち入り禁止でした。土嚢で通路が設置されていました。

下の右画像は、南端の岸辺と東広場まで伸びる様子で、跡から土盛りをした部分が色違いになっています。

下の左画像は、西端の池の様子で一直線に伸びる土盛りの部分です。
南側からの眺め 5 南側からの眺め 6
南側からの眺め 7 JR東北線と無量光院跡敷地の接点です。中央下にコンクリートブロックの柱が立っており、左側は線路の敷地になります。

実際には40センチほど線路側を歩きましたが、土盛りをして芝生を張った土手は歩けません。
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