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location:uchinome.jpトップ>暮らしの表情>祭りアラカルト>2012二戸市呑香稲荷神社・探湯祭 |
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湯立ち神事を初めて見たのは、2009年7月19日宮古市黒森神社例大祭での「湯立託宣」の場でのことでした。黒森神社例大祭「湯立託宣」のページからの抜粋です。 湯立(ゆだて)・・・ 神前の大釜(おおがま)に湯を沸かして神意を問い、笹を降りつつ湯を廻りに振りかける清め払いの行事。「ゆたて・ゆだち」とも言う。古代には「盟神探湯(くかたち)」と言う行事があり、神前で沸かした熱湯を手で探らせ、真偽正邪判断を行った。中世には「湯起請(ゆぎしょう)」とよばれる一種の神判があり、盗みなどの実否を正すために熱湯に手を入れて判定した。(※YAHOO百科事典より) ・・・神社境内に入った時、すでに釜が置かれて火が入り湯気が出始めていました。湯立儀式が始まる少し前に御幣のついた笹竹四本が立てられ、その後に結界を張り巡らす白紙の長い注連が張られます。釜の前には、儀式で使用する笹竹に御幣のついたものや、三宝に米が入ったもの、お盆に塩を入れたものが置かれてあります。・・・ ・・・最初に御幣の部分が釜に入れられ、続いて柄の部分で釜の湯をかき回します。法印は両手で二束の笹竹を手にし湯釜の上にかざします。次に右手で二束の笹竹を持ち、湯釜に入れてかき回します。両手に持ち替えて湯釜から笹竹を取り出し、笹竹を振り湯を周囲に振りかけています。 呑香(とんこう)稲荷神社・・・ 当神社は一説に延暦2年(801)出羽大物忘神社の御分霊として鎮座し、古くは吉平大神蔵と称し、王子稲荷・霞ヶ関稲荷と共に関東三稲荷の一社ともいわれる。天和2年(1682)神号拝授以来代々南部藩主が崇敬し、貞享3年(1688)重信公が、流れ作りの荘厳な社殿を建立されてより信恩公、信幹公、利雄公と20年毎に社殿が修築された。. また利雄公は宝暦13年(1763)六角御輿を寄進、利敬公は神楽能面、衣装等を寄進され、毎年の大祭御輿渡御は官祭として執行され(千石の格式)、中山以北の総鎮守として農商工漁業の守護神として厚い信仰を受けてきた。社殿は明治の初めに神明造りに改築され、大正11年(1922)には県社に列せられた。その後昭和58年(1983)社殿の増改築を行う。(※ネット資料より) |
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参道、境内・・・ 参道向かい道路から見た神社入り口です。大きな鳥居には、呑香社と書かれた扁額があり、左側には大正元年九月に建立された「縣社 呑香稲荷神社」と刻印された石柱が立っています。 駐車場所としては狭いのですが、奥に車を置き正面の石段を登り境内に入りました。 呑香稲荷神社境内は九戸城趾の縄張りの中にあり、由緒ある建物等や田中舘愛橘博士の碑文などがありました。 |
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湯沸かし・・・ 神社境内左側に注連縄が張られ、砂を敷きつめた場所があります。砂場の中央に穴が掘られ、その上に大きな釜が据えられていました。 拝殿で神事が始まる前、大釜に水が入れられます。その後、薪に火がつけられますが、着火する方は白装束と裸足になっています。 |
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湯立ち神事・・・ 両手に持った熊笹の束を熱湯に入れ、勢いよく引き上げます。沸騰状態から少し時間が経過しているとは言え、90度以上ありそうです。 気合いもろとも持ち上げると、湯気と共に熱湯がこぼれ落ちます。見ていて怖いくらいの迫力があります。 探湯祭最大の神事であり、護摩焚き、祝詞、清め、切り火、大麻祓い、御幣撹拌、湯立ちと内容が豊富になります。 |
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無病息災祈願・・・ 湯立ち神事が終わると、境内では茶飲み茶碗が配られ。ヤカンに入れられた釜湯は皆さんに配られ、その場で飲み干します。 私も頂きましたが、気のせいかほとんど味がしませんでした。色は薄いお茶の色のように思えました。熊笹茶とでも言えそうです。 湯立ち後の湯を飲むと、無病息災に御利益があると言います。ペットボトルや水筒に詰めてもらっていました。 |