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09月16日 19:32 とち郎 さん
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怖がった〜

[1] てっち@裏方 2005/08/16(Tue)-14:24 (No.203)

いやぁ、久しぶりにドカンと揺れました。
最初は「あ、地震だ!!」くらいでヘラヘラしてたのですが、時間が経てば経つほど揺れはどんどん大きくなるばかり。
一番すごかったあたりは、なんか地面がうねってるのがわかるくらいでした。

[2] てっち@裏方 2005/08/16(Tue)-14:32 (No.204)

この辺で地震があるとき、大抵はその直前に地鳴りが聞こえるのですが、今回はそれがなくていきなりゆさゆさと来ました。
先日も、そろそろでかいのがくるんじゃないの?と、石巻の知り合いと話してたばかりでした。
なんでも、今の時期に最盛期を迎えるはずのシャコが、今年はまったくと言っていいほど穫れてないのだそうです。
前回の震度6の時と同じだねとのことでした。
やっぱり自然界の生き物には、何か特別な予知能力みたいな物が備わってるのでしょうかねぇ。

[3] てっち@裏方 2005/08/17(Wed)-18:26 (No.205)

今頃気がついたのか?という話もありますが・・・(汗)
昨日の地震、「宮城県南部地震」と命名されたようです。
余震もほとんどなく、あれは一体なんだったんだろうという感じです。

[4] けむぼー Eメール URL 2005/08/19(Fri)-20:19 (No.206)

 十勝の方は、到達距離が長いためか、
逆に振幅のながーい大きな揺れがしばらく
続いていました。
 津波がなくてよかったですね。真夏の日中
にあんな地震があったら、ほんと海沿いは怖
いと思います。

[5] てっち@裏方 2005/08/20(Sat)-01:35 (No.207)

家主が山田に二回目の赴任の時ですから、もう12年くらい前でしょうか。
大浦の防波堤で、のんきに夏の夜釣りを楽しんでました。
そしたら、しばらくしていきなり岸壁の防護壁というのでしょうか、あの鉄板の扉がガラガラと締まり始まりました。
初めはなんだべね?ってのほほんと釣りを続けていましたが、その直後に赤い回転灯のクルマが・・・。
ありゃ、津波かもしんねーぞ!!と、あわててその場を撤収し、高台にある住宅へと逃げ帰りました。
家についてテレビを見たところ、千葉だか茨城だかで地震があり、太平洋側に津波注意報が出たとのこと。
いくら近場での釣りとはいえ、やっぱりラジオなどで情報を仕入れながらでないと、海のレジャーは怖いなぁと感じた夜でした。

そういえば、今回の地震を「宮城南部地震」と呼んでいるのって、岩手日報だけですね。
もしかして正式名称じゃないのかも・・・

無題

[1] やーさま 2005/08/14(Sun)-23:28 (No.201)

C58283後日談の内容は感動ものですね。
私はきっとそうだと思います。偶然ということはありうることで、信じることでロマンを感じます。
なんか最近はデジカメをいつも持ち歩くようになってしまいました。
何かないかなと思って見ていると、普段見過ごしているところにも結構面白い被写体や、自分にとっての新たな発見があって面白いなと思っています。
これも今の自分に心の余裕があるからでしょうね。

[2] とち郎@家主 2005/08/15(Mon)-08:45 (No.202)

やあ様、お便りありがとさんです。
C58283、偶然の事でしたが運命的な出会いでした。100%
の確信はないものの、C55ではないという確信から出たものでした。

後日談その2は、このslに関わる兄弟SLが盛岡に保存されているので、これの写真と記事を編集中です。映画「大いなる旅路」の話題も含めてのことです。色々な意味で、心の中のアーカイブスだなと思っています。

浄土ヶ浜にてウチノメアーカイブス

[1] けむぼー 2005/08/09(Tue)-16:58 (No.198)

今日は朝からおこちゃんと、魚市場〜鍬ケ崎〜蛸の浜〜浄土ヶ浜と散歩。
浄土ヶ浜の貸しボートの受付の所で、そこのおじさんと浄土ヶ浜の昔話でけっこう盛り上がっておりました。
 話のなかで、ウチノメアーカイブスのかつて浄土ヶ浜の写真にかつての「おらの家」、かつての「おらが家の遊覧船」など数々の思い出深いものが写っており、おじさんはお母さんともどもその写真に目頭が熱くなったと申されておりました。
 ウチノメさんの掲示板に書き込んでお礼をいいたいが、忙しくてできないので代わりに「感謝の気持ち」を書き込んでほしい旨、私頼まれましたので、つたない文章ですがお伝えいたします。
 やっぱりいい写真には感動があります!!
 また、いい方にめぐり会えたとおこちゃんと話しております。

[2] とち郎@家主 2005/08/09(Tue)-21:17 (No.199)

けむぼーさんとおこちゃんへ

うれしいお便りをいただき喜んでおります。私のつたない以前の一コマが、当時の様子を強烈に思い出してくれる人に感動を与えたとお聞きし、撮影者名利ににつきます。何気ない一コマが、これほどまでに喜ばれるとは思っておりませんでした。私も思い出に浸っておりますので、この嬉しさを共有したいなと思います。

後日になりますが、どのコマかをお知らせ下さればプリントして贈呈したいなと思います。よろしかったらコマと、送付先を教えていただけませんでしょうか。勝手なお願いですが・・。

今日の我が家は、C58283の話題を求めて盛岡の交通公園と、宮古駅前に行ってきました。きっちゃんの書き込みの記事の事実を知り、なんとしてもHPにまとめたくなったからでした。

宮古駅前なんて、本当にうん十年ぶりでした。市の駐車場に車を置き、駅前にある超我の碑を見ました。本物のナンバープレートがあり、鈴木善幸さんの揮毫による碑文を読んで撮影しました。しかし、石の表面があまりにも鏡面状態なので、後ろの風景や撮影している私が写ります。偏光フィルターを使い、斜め前から何とか撮影出来たのですが・・。

帰りは藤原埠頭に寄ったり、山田の浦の浜、田の浜と以前の生活の面影を求めてのドライブでした。私にとっても、山田・宮古は心のアーカイブスです・・。今後ともよろしくお願いいたします。

[3] けむぼー 2005/08/10(Wed)-09:44 (No.200)

とち郎@家主さま
かえって、喜んでいただけて私もホッとしました。
 貸しボートのおじさんはきさくでとても楽しい方です。先日も子供と貸しボート借りて、浄土ヶ浜の血の池地獄の鳥居を見に行ったときも、「今日は30分の料金で一日中いいですよぉ。」とウミネコ用のかっぱえびせんをサービスしてくれました。」
 浄土ヶ浜のボート釣りもアブラメの大きいのが釣れて楽しいようです。今度、久々アブラッコを釣ってみようかと思っています。

 おじさんのお名刺いただいてきたので、別途、ご連絡申し上げます。

SLだがすか

[1] きっちゃん URL 2005/08/01(Mon)-02:15 (No.190)

船越のSLの写真を見て、車番(この表現が的確なのかどうかわかりません)がいくつなのか気になって画像加工ソフトでいじりまわしてみました。なんとか読み取れる番号は、C58283でした。でも、かなり不確かであり確証は持てません。
別にこの車番に記憶があるわけでもなんでもありません。ただ、世の中ではSLといえばD51なのに対して、自分の中ではC58が先に出てくるだけなのです。そして、わずかな期待を込めて、気になった可能性を求めて調べてみたくなったのです。

 その可能性というのは、自分がSLと聞いた時にC58が真っ先に出てくることの理由の中にあります。自分が小学校低学年だったころ、近所のおじさんが珍しい話を聞かせてくれるというので、そこの家にお邪魔したことがありました。そこの家の床の間には、SLの車番プレートがかざってありました。当時のとっ散らかった頭で理解できたのは、このおじさんは若かったときにSLを運転していて大事故に遭い、大怪我をしながらも無事だった凄い人。そのSLは「しごはち」なんだ。この凄いおじさんは「まえたさん」ということでした。
その後、徐々にとっ散らかった頭も聞いた話の中身を徐々に理解し始めて「しごはち」はC58。「まえたさん」は前田さん。事故の詳細は映画で復習、と。実は、ものすごい体験談を生で聞くという機会に恵まれていたものだと思い知ったのです。

 そこで車番の話に戻るのですが、写真のC58は同じ山田線を走るSLです。事故にあったC58がその後どうなったのかなんて知りもしませんでしたが、修理されて復活しているのであればと、またしても勝手な希望を持ってしまったのです。
しかしインターネットは期待を裏切りません。身近な方がその辺の情報をまとめてくださっていました。
jinさんのサイトの宮古大辞典
http://www.geocities.jp/jinysd02/miyako_chronicle.html
このページの1944年です。
SL事故のことが記されており、事故に遭ったSLはC58283であることが解ります。

ということで、、
車番がC58283であるならば、ウチノメさんの船越駅の写真のSLは、あのSLそのものであることになります。

追加の情報として、
http://www45.tok2.com/home/penta/iwate/c58239/c58239.htm
に、盛岡に保存されているC58239とC58283の関係が書かれています。

[2] てっち@裏方 2005/08/01(Mon)-04:43 (No.191)

へぇ〜へぇ〜!!
何気ない一コマにそんな裏話があったとは、かなりの驚きですね。
そんな大事故に遭った機関車が、ちゃんと修理されてその後も走り続け、今現在にいたっても動態保存されているなんて、ビックリ仰天の連続です。
次に盛岡に行った時、今の状態を見てこなくてはいけないですね。
うーん、インターネットってすごい!!

[3] けむぼー Eメール URL 2005/08/01(Mon)-06:48 (No.192)

 望遠でぐぐっと手前に引っ張って来た画像すごい迫力です。しかもSLの力感と重量感が画面いっぱいに溢れています。
 父の長兄も宮古−盛岡間の機関手をやっていました。
おおいなる昔106号の国道沿いから機関車の窓にその姿を見つけて「おんつぁーん」と叫ぶと、手を振ってくれました。

[4] きっちゃん URL 2005/08/01(Mon)-09:52 (No.193)

てっち殿
文脈が解りにくくてすまぬ。盛岡に保存されているのはC58239だけです。事故に遭ったC58283は、おそらく現存していないです。前田さんの家の床の間に飾られていた車番プレートは、解体されて取り外されたものの一つなのだと思います。また、別のプレートの一つは、宮古駅前にある記念碑についているものだと思います。

[5] とち郎@家主 2005/08/01(Mon)-09:56 (No.194)

きっちゃん、おしばらくです。SLについての造詣の深さに驚いております。私が41年前に何気なく撮影した一コマのSLが、とてつもない歴史と話題性を持っていたなんて、記事を読むまで分かりませんでした。当時はディーゼル列車とSLとが交互に走っていた記憶があります。集団就職する子供達も、SL列車で旅立って行きましたから・・。

さっそくですが、スキャナーで読み込んだ原画(5コマめの画像)を拡大してみました。ご指摘の通り間違いなくC58283でした。JINさんの1944年の記事を見ましたが、歴史の一こまの出来事とは驚きの発見です。

C58289の静態保存場所は分かりますので、盛岡に出たときに出掛けてみますし、近くの展勝地に保存されているC58342ものぞいてきたいと思います。出来ることなら、船越駅のSLの続編としてHP上で公開したいなと思います。

子供の頃でしたが、大船渡線の事故で転落したSLを見たことがあります。あの大きな鉄のかたまりが線路下に横転していました。閉伊川に転落したC58283も同じような状態だったのですね。当時の事故の生き証人である前田さんのこと、貴重な人から話を聞いたきっちゃん、まさに歴史は物語るの一時でした。有り難うございました。

[6] てっち@裏方 2005/08/01(Mon)-12:23 (No.196)

なるほど、リンク先をヨーク読んだら、盛岡にあるのは239の方なんですね。
今度病院に行ったついでに見てこようっと。(笑)
でも、偶然とはいえ、歴史に1ページを刻んだ機関車が収まっているとは・・・
「おおいなる旅路」、今度DVD捜してきます。

[7] てっち@裏方 2005/08/03(Wed)-06:14 (No.197)

今頃気がついたんだけど、対向で背中を向けている機関車のプレートが見えれば・・・。
しかもそれがC58239だったりすれば、それこそとっても貴重な一コマになったかも。(笑)
可能性は充分あると思うんだけど、なにせ証明する方法がないですね。
残念

みやごのごっつお1周年

[1] みやごのごっつお URL 2005/08/01(Mon)-00:28 (No.189)

 
2005年8月1日。「みやごのごっつお」はちょうど1年を迎えました。これからも、よろしくお願いします。

[2] とち郎@家主 2005/08/01(Mon)-10:03 (No.195)

「みやごのごっつお」開設一周年おめでとうございます。ウチノメのHPが細々ながら続いているのは、みやごのごっつおHPのおかげだと感謝しております。

私も手探りの状態からスタートして、丁度5カ月が過ぎました。まだまだ課題だらけですが、これからもよろしくお願いいたします。

困ったなぁ

[1] てっち@裏方 2005/07/25(Mon)-18:04 (No.187)

新しいカメラを手に入れたのですが、今度のは撮影した動画がmov型式で保存されるようです。
変換をかけたくとも、今までみたいに手軽にはできないようで、何種類かのソフトを使って段階的にする必要があるらしい。
ブラカメにも扱えるかどうか、とっても心配です。

[2] てっち@裏方 2005/07/26(Tue)-21:12 (No.188)

いろいろ調べてみた結果、二段階を踏めばwmvまでできることがわかりました。
早速やってみたところ、なんとかかんとか変換完了。
家主にも見てもらったところ、画質もきれいだねということでした。
まずは一安心。

引っ越し完了ですか

[1] スズメバチ 2005/07/20(Wed)-21:30 (No.185)

引っ越ししたんですね〜こちらのお気に入りの変更も完了です。
トップページの写真がまた変わりましたね。いい感じです。

ここのところ暑かったのですが午後から肌寒く感じます。
コスズメバチがちょっと体調不良です。そちらもお気をつけて。

[2] とち郎@家主 2005/07/20(Wed)-23:10 (No.186)

引っ越ししましたが、連絡するのを忘れていてすみません。トップは夢灯りよりはすっきりしたのかな。この画像は撮影するときから頭に入れてやったものです。やっぱりはっきりとしたねらいがないと、中途半端にになるのかも・・。

コスズメバチは夏負けなのかな、気をつけてくだされ。明日は盛岡行きです。

お引っ越し完了しました

[1] てっち@裏方 2005/07/18(Mon)-13:35 (No.184)

いつもウチノメ屋敷におご覧いただき、誠にありがとうございます。
このたび独自ドメインを取得しまして、サイトのお引っ越しを行いました。
お気に入り登録されている方は、お手数をおかけしますがブックマークの変更をお願いいたします。
まだまだ発展途上のサイトではありますが、これからもウチノメ屋敷を、どうぞよろしくおねがいいたします。

トップの写真は、なんでしょう?

[1] けむぼー Eメール URL 2005/07/12(Tue)-18:55 (No.180)

 トップの写真、またなんとも違った風情のある写真
ですが、ご紹介いただけませんでしょうか。

 説明を見落としていたら、申し訳ありません。

[2] とち郎@家主 2005/07/12(Tue)-22:43 (No.181)

今晩は。
トップページの背景画像は、昨年の8月に開催された夢灯りin江刺でのものです。夢灯りはご存じの通り、手製のあんどんにローソクを入れて灯したものです。数にしてどのくらいあるのでしょうか。市民のボランティア活動で手作りしたあんどんが持ち寄られ、一斉に点火されますと光の流れが出来て、きれいなのものです。

この画像は、デジタルカメラで実効感度を3000(平常は200)にしての撮影です。かなりの増感になるので、ノイズがあり鮮明にはなりません。でもこの撮影場合は、ストロボを使っては意味がありませんので仕方有りませんね。

来月にはまた同じ行事がありますので、入れ替えてみたいと思います。トップページの記事内容と背景とのバランスが難しく、かなりの試行錯誤をして居ました。

[3] てっち@裏方 2005/07/12(Tue)-23:14 (No.182)

石膏粘土で作ったろうそくスタンド、これが大体900台弱と言っていました。
ガラス瓶に灯す分も含めると、たぶん倍以上の数になるはずです。
今年は、約2000個のろうそくを用意する予定なそうです。
今週の金曜日、ワタシもスタンド作成に参加してきます。
ひょんなことから、スタッフの一員に組み込まれてしまいました。(笑)
 
以下が夢灯り2003の紹介ページです。
去年もHP作らなきゃいけなかったのですが・・・機会を逃してしまいました。(汗汗)

http://esashi-v.hp.infoseek.co.jp/ashiato/030809/index.htm

[4] けむぼー Eメール URL 2005/07/13(Wed)-18:49 (No.183)

江刺の有名なお祭りだったのですね。
お盆の灯篭とか長崎のショウロウ流しの
ようなものを想像してました。

 子供たちが自分でクッキーの型抜きとか
使って作った行灯が、夜こんな感じで自分
たちの街を彩るなんてとっても感動的な行事
なのですね。
  
 ありがとうございました。

だぼ

[1] みやごのごっつお おこちゃん Eメール URL 2005/07/05(Tue)-10:43 (No.178)

宮古出身の自分はどうしても宮古の写真に目が行きます。今回の海の写真(磯鶏・藤原須賀)は、自分世代より少し上。先生がアカフンというのは、すでにありませんでしたから(笑)。地元の子供がほんの少しだけいたような気がします。ガラス玉は「だぼ」と呼んでいました。低学年は1番だぼまで、2番だぼはちゃんと泳げる人だけ、というルールもありました。それにしても藤原から磯鶏にかけて、なんと広いこと。すばらしい風景。釜石の根浜にも負けていません。この写真を「ごっつお」でも紹介したいのですが、いかがでしょうか。

[2] とち郎@家主 2005/07/05(Tue)-15:07 (No.179)

今日は・・。泳いでいるところの様子、記事にも書きましたが改めて発見したのが海中の監視台でした。私も終戦前後に広田にいましたので、ガラス玉の事は知っていました。あそこまで行ける人は、私にとって憧れでした。何せあんまり泳げなかったものですから・・。でも、広田の浜には海中の監視台はありませんでしたね。

ふんどし姿の人は校長先生でした。今見ても懐かしいというか、当時の人柄が思い出されます。根浜海岸も行きましたが、本当に広い砂浜が広がっていました。

地元の子供の姿は、さっぱぶねの近くで着替えをしている所に女の子が居ましたね。当時の海浜学校は外来者が珍しかったと思います。何気なく撮影していた画像ですが、今になってはっきりと思い出せるものと、そうだったかなと言うのがあります。

海水浴帰りの様子を次回に公開しますが、砂浜を子供達が長い列を作って歩いている場面があります。そして、岩場を越えて行くところです。はっきりと覚えては居ませんが、磯鶏の浜と藤原の浜の境目に岩場があったのかなと思いますが、いかがなものでしょうか。

皆様のお役に立つのなら、画像はご自由にご利用ください。